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メレンゲ今週のCDご紹介37

ギャング・オブ・フォー、サザンオールスターズ、ミック・カーン、ヴィサージ、
DUMAN、チューリップ、TLC、ボンド、ジョージ・ハリスン、ニール・ヤング
評価は5段階です。(★が得点。☆はオマケ)

〜Drive to 80's Vol.21〜 

 

★★★★(2002.10.28)

『エンターテイメント!/ギャング・オブ・フォー』 パンクが60年代のモッズ音楽と強く関わりがある、という説を最大限に肯定するならば、パンクが黒人音楽に帰結するというプロセスも1つの必然と言えるだろう。 究極の臨界点まで研ぎ澄まされたリズムギターとは、そのバンドの指向性に関わらずファンキーである、という定義を立ててみたくなるのが本作。本作がリリースされた時、リズムギターとはここまで凶暴な顔を持つものなのか…、と戦慄した。21世紀の耳にも充分凶暴に襲い掛かる。 8ビートで疾走するパンクロックのリズムを高純度で昇華した結果、指向性は大幅にファンクにシフトする。これは英国パンクの中でも優れたアーティストが共通で達した結論のような気がする。クラッシュやポップグループなど。 ギャング・オブ・フォー(以下、GOF)がユニークなのは、ファンキーなリズムの純度を高めながらも、メロディ(及び肉声)の甘美な効果を放棄していないことだ。僕は前々から思っていたのだけれど、GOF楽曲のボーカルトラックを残して、バックトラックをダンスビートで組み直せば、ニューロマンティックになるんじゃないか、と。メロディが根本的にメランコリックなんだよね。 スカスカのファンキーサウンドをコンセプトに、GOFが「芸術的なグループ」として名乗りを上げることは充分に可能だったはずだと思う。それが時代からの要請でもあったはずだ。ところがGOFは「大衆性」を放棄しない。そう、本作のタイトルが示す通り、娯楽的。 僕はその点を今でも高く評価する。70年代末期から起こったパンクムーヴメントが目指した頂点は、ずばり本作だと信じる。 このアルバムを頂点と想定するならば、黒人音楽を取り込んで展開したロックミュージックとは、全て本作を通貨する為のプロセスだった、と思えてならない。レッド・ツェッペリン〜GOF〜レッド・ホット・チリ・ペッパーズを年表上で結べば、その意味が理解されるだろう。

〜歌謡曲を聴く45〜

 

★★★★(2002.10.28)

『kamakura/サザンオールスターズ』 初めて聴いた日から17年間、聴くたびに敬服し続けたアルバム。 日本では第一次インディーズブームの真っ最中だったと思う。多くのライヴハウスバンドがメジャーの国産音楽を否定しながら、(英国中心に)ニューウェーヴの模倣に血眼になっていた。彼等はニューウェーヴのウワズミを取り入れ、結果、メジャー市場を狙い撃つ成功には至らず、格好つけたエクスキューズが山積。 ま、メジャーで売れた音楽だけが偉いとは言わないけれど、それは評価の1つではあるわけでさ。1人でも多くのリスナーの耳に音楽を届ける気概の無い音楽家に僕は存在意義を感じない。 本作は大メジャーであるSASが、まんまとニューウェーヴのエッセンスを取り込み、音楽的な翻訳に成功した超傑作。いや、本作に盛り込まれたエッセンスはニューウェーヴだけではない、当然。けど、本作を初めて聴いた時の僕はニューウェーヴの扱いの巧妙さに舌を巻いた。 桑田佳祐のリスニングは楽曲の本質を鋭く嗅ぎ取り、翻訳回路で再構成する為の解析を速やかに行うのだろう。「聴こえているもの」が違うんじゃないか、とさえ思える。ウワズミ以上に核心が聴こえているのだろうな、と。 『怪物君の空』では、明らかにポリスの引用があるけれども、例えばムーンライダースやビブラトーンズといった優秀なグループと比較してさえも、引用の上手さが段違いだね。その秘密は構成にあると思うな。(薄くポリス風ではあるけれども)Aメロ・Bメロに引用は無く、2つのコーラスパートが別の意味でポリス風。「ポリスの気分」を構築するセンスが立体的でクレバーなんだよね。 SAS楽曲はコーラスパート(前サビ?)の充実にあるような気がする。サビの前にすげぇもんを聴かせてもらえちゃう、っつう。また、歌詞と歌唱と旋律の重なり方が音楽として高級なんだな。歌唱の凄みが特に高級だと思う。 『Bye Bye My Love』は僕が最も好きなSASシングルです。

ワールドサイドを歩け!! 9

 

★★★☆(2002.11.04)

『タイトルズ/ミック・カーン』 フレットレスベースの話になると僕は夢中になってしまう。エレクトリックなベースからフレットを抜き、そこで得られた音色にエフェクト処理を施す。これは、とてつもない発明だったと思うんだねぇ。 ウッドベースやエレキベースの発展の歴史から、ポンッとはみ出してしまったサウンドだったんだねぇ。 フレットが無くなった結果、音程は曖昧になり、スライドが効果的に響く。ハーモニクスの純度も高い。この特性をジャコ・パストリアスやパーシー・ジョーンズはアクロバティックに応用した。ジャズの楽典に基づいたノートの選択も絶品だったよね。一方、ミック・カーンはフレーズの組み方と鳴らし方において天才的だったと思う。フレットレスはアタックが潰れてしまうわけなのだけど、カーンのベースは楽器やアンプの出力を上げ、右指のインパクトを与えることでアタックを確保。チョッパー風に弾いているケースもある(この場合もネックに叩きつけられる弦の音程が曖昧で面白い効果を獲得している)。 本作にはJAPANで使用したフレーズの応用みたいなものもあるのだけれど、より複雑化している。気になるのは和音の使い方。アタックの潰れた音で2本の弦を同時に弾くと、不思議なくらいに音が綺麗に混じる。4度やオクターブの音で部分的に混ぜ込むフレーズは知的だ。オクターブの音を8分音符分の時間差で2つ鳴らし、サスティンで絡み合う瞬間に波形の差が綺麗にズレ合う。タマラナイ悦楽。こーいうのはフレッテッドベースの2弦弾きでは得られない。4度の同時和音を16分音符で短く弾いてさえも効果は得られているわけだから、フレットレスの恩恵でしょう! そして、エフェクター。コーラスやフランジャーにハーモナイザー系を加えているのだろうか? この音色とフレーズはとんでもねぇ個性だ。 自身の編み出した超絶な個性の用途を無国籍音楽だと見抜いた点において、カーンは恐ろしく知的だったんだね。  関連(土屋昌巳ジャパン

 

〜Drive to 80's Vol.22〜

 

★★★(2002.11.04)

『VISAGE/ヴィサージ』 一応、ベストやセカンドと聴き比べてはみた。ファーストしかないっしょ! ファーストは奇跡的なバランスで成立したエレクトロニクスポップだと思う。絶賛するとも! このユニット(ユニット…なんすかねぇ?)の音楽的な正体がウルトラヴォックスであることを考え、本体(←Click!!)と比較してみても、本体が決して成功していないサウンドバランスを獲得していると思う。シンセサイザーが核心で活きているわけですよ。添え物でなく、本質として、音楽を確立させているわけですよ。シンセサイザーを中心に歌や生演奏が配置され、音楽を成立させているわけですよ。 言ってみれば、シンセサイザー以外の何に対しても気を使っていない、と言うか。ヴォックスは各メンバーへの配慮があったと思うし、個人的な自己主張もあったかも知れない。しかし、ヴィサージュにおけるスティーヴ・ストレンジは違う。彼はパブリシティ上の主役だけれども、音楽上の脇役。結果、肉声(つまり、英語)を持ったサウンドとして、音楽に色を添えているファクターでしかない。 音楽ビジネスにおいて、主役の存在を後退させることが適切な戦術と言えるのか? それは、多くの事例で「否」、だろう。ギタリストが主役の作品に参加した歌手さえも、そこまで冷遇されはしないだろう。しかし、その「無礼」が成立したのは、80年代の英国だったから、としか僕には言いようがない。アンチ・ポップスの思想だね。(「アンチ・ポップ」ではない!) 従来のスタイルを拒絶し、新しいスタイルを成立させんとする志。この志が多くの失敗案件を産み落としたことも事実。しかし、本作は成功例だと僕は思う。「歌だけには依存しないサウンド主体の音楽を、アイドルマーケットで成立させる」という志。その戦略がフューチャリスト(ニューロマ)という仕掛けだったとしても、音楽自体が優れた発明ではあった。 シンセサイザーという音の理想形はここにある!

ワールドサイドを歩け!! 10

 

 

★★★(2002.11.11)

『BELKI ALISMAN LAZIM/DUMAN』 まず、バンド紹介を試みる。ギター×2、ベース、ドラムスの4ピース。ドラムスがゲスト扱いで、正規メンバーは3名。この辺り、初期のクラッシュを思い出す。全体のトーンはダークで、ジョイ・ディヴィジョンやバニーメンとかの時代や空気を思い出す。ギターはリズムが主体だけれど、時折奏でるメロディは意固地なまでに単音。意固地っつうか、純粋に腕前の問題のような気もするけど…。そんなわけでスカスカなサウンド。ま、言ってみれば、パンクロック。 しかし、このグループは決定的に違う。 何が違うって、彼等はトルコのバンドなんだ。人気があるらしいぜ。 非英語圏でさえあれば、「違う」なんつって評価の対象になるのかよぉ、と不服に思ったアナタは正常な感覚をお持ちのようですね。 バンド紹介に続いて、彼等の音楽性を紹介しよう。 サウンドの編成がそうであるように、コード進行も普通。バックトラックを抜粋してみたとしたら、下手なパンクサウンド。ところが、その凡庸なトラックに乗っている歌が違う。 非英語言語の歌を「違う」なんつって毎度誉めてるじゃんか、と不服に思ったアナタは『メレンゲ今週のCD』の素晴らしい読者様です。 確かにトルコ語の歌唱は子音のインパクトが不足気味でモニャモニャしているんだけれど、そーいう問題ではないんだな。平凡なコード進行上で展開するメロディが音階として変なんだわ。英語圏のポップスや、それに追随する日本人の感覚では思いもつかないメロディ。トルコ民謡的なエキゾチズムがパンクのコード進行でパンクの歌唱で歌われる違和感。これが僕の耳をググッと引きつける。 僕はジャックスを思い出した。ジャックスはロックのつもりで演奏していたのだろうけれど、早川義夫の歌がコード進行と別の次元で主張してしまった感覚。更には、内側に向かうような歌い手の意識がジャックス級の純度で青白く光る。 イルハン級の美形もいるぞ、急げ!(何を?)

〜歌謡曲を聴く46〜

 

★★★(2002.11.11)

『魔法の黄色い靴/チューリップ(1)』 1枚をセレクトする自信が無いので、1枚づつ扱おうと思う。 本作はチューリップのデビュー盤。日本の音楽シーンを変革しようという野心に満ちている。「音楽の喜びは日本歌謡史の文脈ばかりにあらず」とばかりに、気負っているとさえ思える洋楽的コード進行が爆発。演歌とも四畳半フォークとも違う文脈。こういったスマートなポップ楽曲は今となっては日本の音楽市場に満ち溢れているわけなんだけど、日本語の洋楽風ポップスが当時の市場において、いかに不可思議な音楽として驚愕されたかは想像出来る。 しかして、その実態は…ビートルズ。 楽曲・編曲・演奏・ハーモニーはビートルズからの引用が多く、今の僕の耳には“元ネタ”探しの楽しみなんかも許されるわけなのだけど、当時のリスナーにはデジャヴのように聴こえたのかも知れない。ドラムスのフィルインのみならず、チューニングさえもがリンゴ・スターのスタイルであることを聴き取る習慣そのものが一般リスナーには無かった時代なんじゃないかな? マッカートニーに直結するベースラインは中後期のリッケンバッカー期を思わせる。 単音指向のストリングスはジョージ・マーティンのスコアの足元にも及ばないけれど、ハイトーンのバックコーラスはビートルズよりも気持ち良いかも。『私の小さな人生』のコーラスなど、クイーンに近い迫力があるもん。 コード楽器が重なり過ぎて騒々しい印象も受けるけれども、各々のフレーズを耳で追ってみると、その確かな演奏力やリズム感に気付く。財津和夫って鍵盤よりもアコースティックギターの能力が高いと僕は思うんだけどなぁ。右チャンネルのカッティングがパーカッションと錯覚するくらい見事に切れている。 ライヴのレパートリーとして歌い続けられた楽曲は多いけれども、後の活動を考えれば地味なアルバムとも言える。しかし、このアルバムは日本市場にリリースされることに最大の意義があったのだろう。  関連(

 

★★★★(2002.11.18)

『3D/TLC』 あぁ、久しぶりだ。 ハイパーなR&Bのサウンドを聴くことが久しぶりだし、その前にTLCを聴くことが久しぶりだ。 TLCの新譜が出るまでニューR&Bのリスニングを凍結してしまったかのような僕の態度ではある。ジャネットとデスチャ以来、僕はR&Bのニューサウンドを積極的に欲してはいなかったと自覚している。 TLCのニューディスクをプレイヤーにセットして再生。24秒後にリズムが始まり37秒後に歌とコーラスが始まった瞬間に「あぁ、僕はこれを待っていたんだっ!」という手応えを感じた。後は、クールに制御されたサウンドと声に身を任せたまま、一直線にゴールまで持って行かれる。僕の表面的な体温は決して上がらないのに、身体の芯が火照ってくるような感覚。そうそう、これこそがTLC。 レコーディングに用いた全ての機材(特にプロツールズ)のパラメータを調べてみたくなるようなサウンドは相変わらずスキが無い。前作(←Click!!)を覆っていたモヤケ成分が影を潜め、音素材の輪郭を露呈しているのだけれど、輪郭が見えてしまう分だけサウンドメイクの巧妙さが謎として浮かび上がる。正体を80%まで解き明かされた「消える魔球」を打ち砕かんとするバッター(花形満、左門豊作、オズマ・伴宙太+星一徹)のように、残された謎の解明に躍起になってしまう。 とは言え、本作はサウンドの影にボーカルが埋もれてしまうような音楽ではない。むしろ、ボーカルやコーラスの充実に舌を巻く。もはや、貫禄と呼びたいくらいにオリジナリティを獲得したTLCの魅力が全開。無機質&無感情なようでいてメロディアスなアプローチが多く、爆発はしないけれども、薄っすらとハッピーな気分に満たされた。 さて、本作のタイトルは『3D』。インナーには立体型のポートレートが添付されている。そう、3D。そして、TLCが3人のユニットである証。 レフトアイの永遠の魂が真空パックされている。

 

★★★☆(2002.11.18)

『シャイン/ボンド』 ストリングスは多くの顔を持つ。まるで百面相のように。 古典的なシンフォニーオーケストラにおいてにも、愛情過多の母親のように穏やかな安全地帯を提供してくれたかと思うと、一転牙を剥いて攻撃的な野獣の顔に変貌したりする。きっと、弓の立て方や寝かせ方、引き方や押し方の強弱やタイミング等で顔つきは180度変るのだろう。カントリー音楽のフィドルやジプシー音楽のバイオリン、大正歌謡のバイオリン、ビートルズで言えば『イエスタデイ』と『ウォルラス』のアンサンブル…、ストリングスが持つ他面的な顔を挙げればキリが無い。胡弓だって中国のストリングスだし、ジミー・ペイジが電気ギターを弓で弾く瞬間も、あのレスポールはストリングスなわけで。(あ、今回の「ストリングス」は弓で弾く弦楽器に限定しているので、寛容に話を合わせて下さいね!) さて、ボンド。バイオリン×2、ビオラ、チェロの4人組。僕なんぞはオールドファッションでステレオタイプのイメージしか持てないものだから、バイオリンを習得した女子は眼鏡をかけてオシトヤカで肉体的な魅力には乏しいのではないか、なんて偏見を抱くわけです。 それが、どうよ? ボンドは4人とも野生味に満ちた美人揃いで、スレンダーでボインなわけさ。ジャケットやインナーの写真は、まるで新手のコーラス&ダンスユニットみたいだ。 一方、各自の腕前は素晴らしく、自在に楽器を扱い、ストリングスの潜在能力の解放に貢献している。彼女達のルックスと同様に、音楽もグラマラス。ダンスミュージックの体裁の中で肉感的にストリングスが響く。クラシックをダンスビートに転換したとか、ニューエイジ系の環境音楽に慎ましやかな着地を求めるなどというエクスキューズは皆無。肉感的でタフな印象。 「弓つながり」なのか、レッド・ツエッペリンの『カシミール』のカヴァ有り。究極に正しいアレンジはこれだ、と言わんばかりの出来栄え。眩しい!

 

★★★★(2002.11.25)

『ブレインウォッシュド/ジョージ・ハリスン』 クラス会かなんかで「あいつ、どうしているんだかなぁ」なんつって話題になった旧友から、突然に届いた手紙のようだ。 そう言えば、アイツが噂になったのは昨年の今頃だったっけな。連絡ぐらいしろ、っつうの! 拉致被害者との再会ってこんな気持ち?(洗脳!?) ま、便りの無いのは元気な印ってね。きっと、元気にしていてくれたんだろう。だって、手紙の内容はこんなに元気なんだからさ。 などと書いてはみたものの、僕は泣きそうな気分だ。 別に過去が懐かしいわけじゃないんだよ。喪失感が悲しい、というのもちょっと違う。 なんて言うか…、このアルバムの歌やギターが生々しくここに在って、その、つまり…、今、僕はジョージと向かい合っています。こんなに至近距離でジョージと対面したのは初めてのような気がする。 この生々しさは、この音源が間違いなく21世紀に制作された最新作だという意味なのであって、ジョージ・ハリソンの「最新の音楽」なんだよね。良くも悪くも、ジェフ・リンのサウンドだなぁとは思うけれども、3枚組アルバム(←Click!!)への落とし前と言うか、ドライなアコースティックサウンドポップな湿度のバランスが抜群だ。スライドギターがナチュラルなトーンで、なおかつ、適切な音量で多用される空間は、現時点でジョージが行き着いた頂点のようにも思える。アコギとウクレレが暖かい。(そーいや、この前、ポールがウクレレでジョージの曲を歌っていたっけな) 21世紀のジョージは手強いぞ。本作には20世紀のジョージ音楽の総括的な仕掛けも見られるけれども、新世紀へのステップであることを意識した名曲揃いの傑作だ。 今度こそは「セミリタイア」なんてことを言わずに、短いインターバルで次の新作を出して欲しいな。 次回作が出るまで、僕は本作を聴きながら未来永劫待っていよう。だから、ジョージ、頑張って! そして、また、忘れかけた頃に手紙を頂戴ね! きっとだよ!  関連

〜Drive to 80's Vol.23〜

 

★★☆(2002.11.25)

『トランス/ニール・ヤング』 ニューカマーへの対応を見れば人間の度量が判断できるとは思いませんか? 新しい技法やスタイルが登場した時の対応を見ればいい。若い世代は「自分達の音」とばかりに無邪気に飛びつくかも知れない。時の大御所や既存スタイルという権威への反発も手伝うだろう。  ヒップホップが登場した時の僕の周囲の反応は概ね冷ややかだった。(←Click!!) 優れた演奏力によってポップスは派生するという既存観念を根底から覆した前衛技法に戸惑った人間達はヒップホップを糾弾した。あまりにもスタイルの違う音楽が理解出来なかった、とも言える。天動説とかコロンブスの卵とか、ま、そんな史実を思い起こせばいい。 パンクやニューウェーヴが登場した際にも、多大なアレルギーを呼び寄せたことは想像出来る。何故、「想像」かと言えば、僕は無邪気に飛びついた側なので、権威側の認識を実感として知らないのよね。 問題は権威側に依存していた人間の反応だ。今でも鮮明に覚えているのはUK結成時のジョン・ウェットンの発言。「我々の音はパンクにナイフを突き立てるものだ」 ぎゃはは、ナイフで切り刻まれたのはどっちよ? 当時、ニューカマーに肩入れした“大御所”はボウイー、ロキシー系列のプレ・ニューウェーヴ勢以外にはザ・フー、キンクス等の「パンクの先祖」勢、そしてポール・マッカートニー、それから、ニール・ヤング。 各自には新体制への便乗や、物分かりの良い親父を演じる策略もあったのだろうとは思う。しかし、ニール・ヤングだけは突発的な印象。ジョニー・ロットンに感化された形跡もあるように、「新しい音楽」に無邪気に飛びついたのだろう。シンセを扱ってみたかった、という単純な動機なのかも知れない。シンセと生演奏が付け刃的に合体。ハイハットの打ち込みとボコーダーボイスとルーズな演奏が分離同居していたり…。しかし、結果的にはニューウェーブの底の浅さをいち早く暴いたアルバムになったと思う。  関連(

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