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★★★★(2003.01.27)
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『エレクトリック・サーカス/コモン』 豪華なゲスト等86名のVIPの顔写真を背負ったコモン。どこか『サージェント・ペッパーズ』を思わせるジャケットデザイン。プリンスとジミ・ヘンドリックスが左端上下の位置を固めている。ターバンを巻いたエリカ・バドゥの占有面積が最も広い(なんだか、満足)。録音はエレクトリック・レディ・スタジオ。 バラエティに富んだ収録楽曲の振れ幅は、やっぱり『サージェント・ペッパーズ』を思わせる。エレクトリック・ギターの使用比率が高く、「なるほどエレクトリックね」と納得した途端に、「YMOかよっ!」とノケゾるテクノなシンセベースと鉢合わせ。昔懐かしいスタイルのオルガンやレトロなジャズ風味など、気が抜けない。 20世紀と21世紀のR&Bやヒップホップの在り様をブレンド工程を省いたままジョイントして、シャッフルして、撒き散らしたような味わい。楽しくて、刺激的で、濃厚。 1曲1曲に込められたアイディアの豊富さにはクラクラしてしまった。アタックの強いピアノの打撃音がベースラインとして使用されるなど、既存のセオリーをふてぶてしいまでに覆す。そんな制作姿勢も『サージェント・ペッパーズ』的かもね。 同時に鳴っている楽器数はさほど多くないのに、情報量が多く感じる。ミックスダウンの妙もあるのだろうけれど、詳細なサウンドデータに耳を研ぎ澄ましてしまう僕の受け取り方の問題なのだろう。ドラムとベースを追いかけているだけでも最重要情報の嵐。栄養価が高いアルバム。おっと、まるで『サージェント・ペッパーズ』を聴く時の僕みたいだ…。 何度も繰り返し聴いて、飽きが来ない。こんなアルバムを聴くと僕は「カラフル」と形容したくなってしまう。ペイズリ−模様のようなイメージのカラフル。なんとなくサイケだなぁと思うのだけれど、ギター多用や、ジミヘンの亡霊が原因? アシッド的な印象は薄いのだけれど。 あ、そっか、『サージェント・ペッパーズ』だからか…。
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★★★☆(2003.01.27)
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『LIVE AT S-KEN STUDUI'78
and more!/リザード』 S−KENスタジオでのライヴ録音音源(78年)が突如リリースされた。不思議なくらい音が良い。TEACの4チャンネルレコーダーへの録音。全ての演奏が明瞭に聴こえる。ステレオだし。 時期的には紅蜥蜴からリザードへの変貌期。両バンドの記録音源で聴き馴染みのある「あの曲」が、全く別の顔でドロドロと牙を剥く。紅蜥蜴とリザードの両音源を聴けば、同一楽曲がまるで違うテーマの歌詞で歌われ、アレンジが異なるという実情が簡単に理解出来る。しかし、本作とスタジオ音源の差異には目が眩むね。 つまり、1つの楽曲に内包されるエレメントの過剰さが耳に残るんだ。きっとバンドは楽曲のシェイプアップも整合も図り尽くしていたのだろうけれど、貪欲に飲み込んだモノを満遍なく吐き散らすような演奏からは、最終的な完成形を意固地に定めまいとしているかのような意志を感じる。生産的な混沌。本作と比較した時に、メジャーデビュー盤(ジャン・ジャック・バーネルのプロデュース)は、一元化された感性〈方針〉の下に整理された記録音源、といった印象に変貌した。 バンドが1つの方向を指し示す方針は決して間違ってはいないと思うのだけれど、リザードに限っては、1つのベクトルにバンドの方向性を収束させてしまったデビュー盤が必ずしも正しい成果とは言えないような気がした。例えばシンセサイザーの用法にしても、ライヴアレンジの方が自由度が高く、またアイディアも斬新。 リザードの核であるモモヨ自身が動的に変貌し続けたが為に、僕達はモモヨの変貌に翻弄され、時に絶望したこともあったような気がする。もしかして僕が期待していたことは、新しいステージで新曲が歌われるような類の変貌ではなく、新しいステージに持ち込まれて変貌(進化・退化)する旧楽曲だったのかな?
今となっては、そんな気もするけれど、あの時代の僕はモモヨや世界や僕自身の変貌だけを切望していたのだった。 関連(ゼルダ・2)
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★★★★(2003.02.03)
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『エネミー・オブ・ジ・エネミー/エイジアン・ダブ・ファウンデイション』 歌詞を読みながら、その音に身を委ねる。メラメラと身体の奥底から何かがこみ上げてくる。耳や鼻の穴からアドレナリンが噴き出しそうだ。 メンバーチェンジと「9・11」を通過したADFの表現は歴代最高にヘヴィ。エコーに包まれた音像の中の殺気が尋常じゃない。 特殊諜報組織の秘密工作が藪から引き出した邪悪な蛇。その蛇とは過去の友人が変貌した姿。そいつは「敵の敵」だ。そして、目の前でバビロンが炎上している。グローバリゼイションの矛盾が引き起こす悲劇の数々。 あの日のニューヨークを想定すれば、楽曲中に登場する「役者」の顔は特定可能。 ニューヨークだけが舞台ではない。グローバリゼイションの波に弾き飛ばされている人々の間で被害者と加害者の線引きが消失してゆく惨状をADFは告発する。このアルバムのテーマは「パラドックス」なのだろう。 複雑化したサウンドの中で、また、モヤモヤとした音空間の中で、重低音のベースが雁首をもたげる。逞しく、エロティックに、そして、唯一の確信であるかのようにそびえ立つ。この世で信じられるモノは屹立したこのベースラインだけだ、という気がしてくる。21世紀の暴動は戦争ではなく重低音のリズムであるべき、という信念なのだろう。それは希望であり、それ以外には戦略が立たないことへの絶望でもある。パラドックス。民主主義的手続きを踏まない意識の強制もテロ行為ではある。 「ワールドサイドを歩け!!」という企画を進めるに従って強く感じるのは、非主要国から主要国への文化侵入こそが真のグローバリゼイションの工程ではないか、という想い。主要国文化に侵入するエスニックの種子を侮って排除し続けるのならば、主要国の未来は暗い。無根拠に安穏と構える主要国は丸腰で、丸出しの急所は格好の的。そう、飛行機2発で崩壊する的。 コピーガードによって劣化した音質に不満。また、そこまで過保護な扱いを受けるべきディスクなのかという点で疑問を感じた。 (関連1・2・3・4)
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〜歌謡曲を聴く50〜
★★★☆(2003.02.03)
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『短篇集/中島みゆき』 開封もせず、CD収納ラックに2年間も眠らせていたディスク。なんとなく踏ん切りがつかないまま放置していた。遂に意を決して。 ニヒルな現実認識を通過させた優しさ。 僕が中島みゆきに感じていた表現方法は本作でも核心だった。郷ひろみに提供した『美貌の都』を聴いた瞬間に、僕は初めて中島みゆきから衝撃を受けた。 「この国は美貌の都/言葉ばかりが明るい」 ヒンヤリとした水を背中から浴びせられた直後に人肌の温もりが内側から立ち上がっていくような感覚。それは郷ひろみの声の特質(プラスチック感覚の中に薄く注入される感情)もさることながら、歌詞の効果によるものだろう。 本作の楽曲群は、日常生活のありふれた光景を冷静に切り取り、その光景の動機を冷静に解説する。 「アナタが何気なく行っている行為とは、アナタの弱さに根源があり、ワタシの目にはこう映っているのよ。」 そうっスね、日常生活の中で僕は自分の弱さや甘えを寛大に許容しちまってますもんね。第三者の目を介在させれば、それは、見苦しい生き様でもあるわけで…、その…。そんな気分になった直後に、僕の弱さを懸命に抱きしめている中島みゆきを感じるのさ。その立ち入り方は強引で我武者羅で、その…、慈悲深いです。 時に観察者として、時に当事者として、言葉を紡ぐスタイルが全方向から聴き手を包み込む。いや、「包み込む」は甘いか。聞き手を全方向から追い詰める。 中島みゆきは一種の巫女なのだろう。卑弥呼クラスの。 これだけ多くの楽曲を聴き通したのは初めてだったのだけれど、歌唱スタイルの多様さにも驚いた(特に『地上の星』)。薄く微笑む観音様のように、憤怒する仁王様のように。 オーソドックスなバックトラックも心地よいけれども、ビョークの域まで登りつめたら迫力は更に増すのだろうな。 「決闘」と間違えて、年下の男の子と「結婚」するぞと宣言した少年を歌った『結婚』という楽曲。あまりにも平凡な日常感覚に涙が出かけた。
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ワールドサイドを歩け!!
〜13〜
★★☆(2003.02.10)
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『シングル・コレクション/ゴールデン・ハーフ』 「歌謡曲を聴く」と間違えていないか、って?
いや、そーでも。 ハーフ女性の露出自体が商品価値を持っていた幸福な時代。色気に特化したコーラスグループをお茶の間レベルでブレイクさせる為に必要だったのが「ハーフの娘は進んでいるから…」っつう詭弁だったんだろう。コーラスグループなんだけど、歌唱力が決してズバ抜けてはいない。全然いない。ハモリのコンビネーションも悪い。だって、ハーフったって、国籍はバラバラなんだろ? お色気、ハーフ、(質の無い)コーラス、お茶の間。これらのエレメントを合致させんという難題をクリアする為の施策がカヴァー楽曲の連発。〈当時の〉大人であった皆さんを心情的に納得させる「旧知の名曲」。う〜む、なんだか、最近のJ−POPの状況と似ている…。 シングル楽曲群のA・B面をリリース順に聴くと、最初の2枚こそB面にオリジナル楽曲を仕込んでいるものの、3枚目以降はカヴァー楽曲が埋め尽くす。 人気者になって、「軽度なお色気路線」にシフトしたゴールデン・ハーフの歌唱を何度もテレビで聴くたびに、僕は「オールディーズ」と出会っていたわけだ。そう、大人達にとっての「旧知の名曲」を、新解釈で吸収させていただいた。例えば、僕が最も好きだった『24,000回のキッス』はイタリアの楽曲。そして、今も大好きな『メロンの気持ち』はスペインだ(ローズマリー・クルーニーのヒットバージョンがカヴァー対象だったんだろうけど…)。 僕にとっては、幼少の頃、NHK『みんなのうた』で世界各国の大衆ソング(チェコスロバキア民謡の『おお牧場は緑』やインドネシア民謡の『クイクァイマニマニ』等)を吸収できた経緯と似ている。 『マンボ・バカン』のようなラテン曲でさえも、ベタな70年代歌謡曲アレンジのリズムに咀嚼されているが、大人になった僕はオリジナルリズムに出会うまでヨ。その下地をハーフの4人(3人〜5人?)娘からいただいたのさ。 |
〜歌謡曲を聴く51〜
★★☆(2003.02.10)
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『ライブ!アクト/チューリップ(3)』 初のライブ音源。『心の旅』の超ヒットで追い風が吹き荒れる73年。 まず、音が悪い。客席のアンビニエンス音量がでかくて騒々しいし。 それでも、メンバー5人の演奏の詳細もコーラスも充分に聴き取れる。音質やミックスダウンが云々、と言うよりもアレンジ力&演奏力の勝利だろう。適材適所に音が仕込まれている。ドラムス、ベース、リードギターだけが固定で、プラスα(サイドギターやキーボード、バンジョー等)が差し変る。つまりは財津和夫、姫野達也の存在力が全体を制御している。重箱の隅をほじくればミスはいくつも発見できるのだけれど、そんな次元でなく演奏は上手いと思うな。リズムが安定しているし、第一、華やかだ。「華のある音圧感」を持続できている、っつうか。 彼等の場合、スタジオではストリングス等のダビングや、コーラスのオーバーダブによる音楽的処理が1つのカラーとさえなっているわけなのだけど、5人のメンバーがリアルタイムに出す音自体が決して貧弱ではないことが本作に明らか。 それにしても、何故、このアレンジの楽曲を演奏しながら、このコーラスが重ねられるのだろう?
クイーンのライヴ音源でもハイトーンのシャウトコーラスを完全に歌いながら高度なフィルインを決めるロジャー・テイラーのスキルに驚愕したが、近い次元でビックリ。ビートルズやビーチボーイズがライヴで決めるコーラスの完成度を我が物にせんという志が高かったんだろうなぁ。専属のコーラス隊を同行させたり、録音されたコーラステイクを演奏に同期させて出力する「最近の完成度の高いライブ」に慣れてしまった世代には、そもそも出来ない発想なのかも知れないね。 そうそう、僕は本作録音の翌年に生でライヴを観ているのだけれど、無断で生録音した音源をヒッソリ聴きながら、オリジナル音源よりもテンポが速いことに驚いた。本作も各曲のテンポが速い。ロック、だね! カヴァー2曲は余分だと思う。 関連(0・1・2・3・4・5)
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〜Drive
to 80's Vol.27〜
★★(2003.02.17)
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『スーパー・ヒッツ/アダム・アント』 トライバルとかジャングルビートとか。 アダム・アントが歴史に「時代の仇花」以上の痕跡を残した実情は、その一点に尽きるだろう。 彼等のジャングルビートの本質って、実は変形シャッフルなんだよね。シャッフルが「ドッドドッド」だとしたらジャングルビートは「ドンゴダンゴ」。「ン」が重要、ね。つまり3連の中央の拍を抜くか、感じさせるかっつう差異。ま、もっとも、事態はそれほど単純ではない。歴史に名を残すってことは、そーいうことじゃないのだよ。 硬いチューニングの打楽器の音色が重要。スネアなんだろうけど、ティンパレスのような効果を狙っている。しかも、短いディレイが乗るわけですね。「ドドンンゴゴダダンンゴゴ」ってわけです。はぁ、記号的な書き方をしても伝わり難いっすね。楽器の選択、演奏、アンサンブル、録音、仕上げによって音楽は聴覚的に成立するわけだからして。それ故に新発明は音楽史に痕跡を残すわけですね。 しかし、アダム・アント、そんなに大袈裟な発明家かよ? 本作で一連のヒット作を聴き通すと、その発想の根源がウッスラと透視できる。50年代のロッカビリーを改良したんだろうよ!
メロディやコード構成は、そのまんま50年代を引き継ぎ、リズムをシャッフルからジャングルビートに差し替えた、と。50年代のシャッフルスタイルと言えば、グラムロックの基本リズム。そのグラムからはギター〈単音多用〉やベースのアイディアを拝借。コーラスの発想にもグラムロックの影が。 で、そこに「時代の空気」であるパンクテイストを盛り込む。パンクを通して60年代が見えるわけでして、50〜80年代の一気通貫が成立。 すごく古いエンジンを、ちょっと古い車体に積んで、今のペンキで塗装して、宣伝文句は「うんと新しい車」。 シビれますね。マルコムの商法。 そんなお手軽珍発明が勢いあまって産み落とした『Ant
Music』は掛値無しにイカした楽曲だと僕は思う。 |
〜歌謡曲を聴く52〜
★★★(2003.02.17)
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『ザ・ベスト/南沙織』 僕が小学生の時。「ポップス」って、どういう音楽のことを呼ぶのだろう?と疑問を持った。いや、それは子供にありがちな「言葉に対する好奇心」のレベルで。 その質問を受けた母親は迷った挙句、「南沙織みたいな音楽」と答えてくれた。その瞬間を境に僕の「ポップス認識」は決定した。「ポップス指標」が永遠に決定した、と言っても過言ではない。 いやいや、特別にモダンな母親ってわけじゃないんだよ、別に。鋭いことなんか滅多に言ってくれたわけじゃないし。ところが、その解答は見事だったと貴女の息子は感謝しながら健康に生きています。 今度は僕が「小学生の僕」に説明してみよう。 あの当時使われていた「ポップス」って言葉は「歌謡曲」に対して存在していた概念で、米国のラジオ文化で発生した軽快な大衆音楽の影響下の音楽全般を「ポップス」って呼んでいたんだ。「歌謡曲」は「ポップス」にどこかで劣等感を感じていたんだね。でもね、中には「ポップス」を上手に取り入れた「歌謡曲」もあるんだ。「ポップス歌謡」、っつうか。 ありゃりゃ、貴女の息子の説明はなっていません。前略、おふくろ様…、なっていません…。 洋楽のスイートスポットをメロディやアレンジに散りばめた筒美京平の理想的な創作物が南沙織だ。純度は高いと思う。時代的にもカーペンターズ(っつかA&Mレーベル)系のイージーリスニングなソフトロック路線が基本骨子なのだろう。ドラムスの音の柔らかさが心地良い。 また、南沙織の歌唱が舌っ足らずながらハキハキしていて、リズミックな譜割との相性が抜群。『早春の港』での超オンマイク歌唱では、声が見事にマイクに乗っている。南沙織のタレントもさることながら、プロダクションのレベルが高かったってことですね。 『純潔』『早春の港』『傷つく世代』『色づく街』『バラのかげり』が大好き。ありゃりゃ、歌謡曲っぽい楽曲ばかりだ…。 前略、おふくろ様、貴女の息子はなっていません…。 |
〜Drive
to 80's
Vol.28〜
ジャケは独断で
『C.M.C.』を使用。
★★★(2003.03.03)
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『INSANE + IN NURNBERG &
C.M.C./ルースターズ』 最初から最後まで過渡期で在り続けたルースターズの歴史の中でも、最も過渡期と呼ぶに相応しい3枚のディスクを3in1。本作収録曲の時系列でバンドがグニャグニャと歪んでいく道程を一望出来る。僕はただただ眩暈。 1〜7が3rdアルバム『INSANE』の収録曲。誕生時にはシンプルであったに違いないロックンロール曲が、全てどこかに不具を抱えている。例えば『We
wanna Get Everything』では何故かドラムスの音が3つ存在。キットで叩いた別々のドラムスが3箇所から同時に鳴るんだよっ!
その発想にも、それを正確にこなす池畑潤二の腕前にも目玉が飛び出る。以降、バラバラの方針でミックスダウンされた楽曲が進行。耳が安定しない。聴き手を気持ち悪がらせたいと言うよりは、彼等自身が気持ち悪い音感覚しか信じていないように思える。奇怪なインスト『Flash
Back』からの3曲が唐突に内省的なニューウェーヴに傾倒。これが1枚のレコードの収録楽曲かよっ!? GS風のシングル曲『Hey
Girl』で一息ついて、9〜12がマキシ『ニュールンベルグでささやいて』収録曲。タイトル曲ではリップリグ&ザ・パニックを思わせるエスノビートからイビツなファンクが展開。初期ルースターズの影は皆無。大サビのメロディの壊れ方が美しい。以降、ボ・デッドリー風ビートやブギリズムであるにも関わらず、全くシンプルでない面妖な楽曲が続き、ダブで終焉。この奇天烈な音を真面目な顔で制作している光景を想像すると薄気味悪いけど、きっと彼等(特に大江慎也)は真面目どころか真剣だったのだろう。 13〜16はマキシ『C.M.C.』より。気持ち悪いほどストレートなタイトル曲以降の音には、もはや「死相」が出ている。次回作『φ』で大江が「別の世界」に解放されるまでの賽の河原のような音。 以上がオリジナルメンバーによる最後の3枚。井上富雄と池畑による強力なリズム隊だけが現世の土を踏みしめている。 |
〜歌謡曲を聴く53〜
★★★(2003.03.03)
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『GSオン・ステージ/V.A.』 60年代GSブームの遺跡の中から21世紀に何を最も珍重するかで、GSへのスタンスが決定するような気がするんです。プロマイド収集・GS映画鑑賞・データ収集といった純音楽的ではない楽しみ方も良し。古いアナログ盤発掘も良し。復刻されたCD音源でも良いじゃん。GS音源には大雑把にスタジオ音源とライブ音源という2つの楽しみ方がある。一般的に、スタジオ音源は商業主義が色濃い歌謡曲指向、ライブ音源は海外ポップスのカヴァーが多いロック指向、などと分類。 豪華ストリングス+自己陶酔歌唱に胸焼けしそうな歌謡曲指向GSが僕は好きなんだけど、ロック指向のライブ音源も捨て難い。 ローリング・ストーンズやアニマルズがお手本なのに、何故か完全コピーされていないアレンジで荒々しく演奏されるロック楽曲。黄色い歓声に包まれて、(きっと、カッコいいポーズなんかもキメちゃうおかげで)不ぞろいのアンサンブル。ファズ・ギター!
そう、結果的にガレージパンク。歌謡曲指向のシングル楽曲もライブの演目に加わるとパンキッシュだから、あら不思議。 そして、ライブ音源から単純に確認できて、納得しちゃうことがある。彼等は自分達で演奏をしていたのね!
昭和を振り返って「GSは作られたブーム」といった批判意見もあるのだけれど、その発生は洋楽に憧れた若者達が楽器を手に取ったと言う動機に過ぎないのだろう。ビートルズの真似したら、自分達も人気が出ちゃった、っつう。 演奏は上手いんだか下手なんだか、僕には言い切れないなぁ。フレージングの正確さってな意味で言えば下手だと思うし、グルーヴ感という意味では上手だと思う。 本作はテンプターズ、タイガース、ブルーコメッツ、ワイルドワンズ、バニーズ、ゴールデンカップス、オックスを収録。 すげぇっ!
『テル・ミー』で野口ヒデトが号泣してるっ! そして、愛ちゃんは失神。僕の推理では4'51"のノイズ(ゴトッ)が怪しい。 |