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メレンゲ今週のCDご紹介41

ポリス(1)、ポリス(2)、ウィッシュボーン・アッシュ、サディスティックス、ウエアハウス、
チューリップ(5)、マドンナ、ストラングラーズ(1)、アリス・クーパー、小泉今日子(5)

評価は5段階です。(★が得点。☆はオマケ)

〜Drive to 80's
Vol.30〜




★★★☆(2003.4.14)

 

『アウトランドス・ダムール/ポリス』 70年代末期、ディスコとクロスオーバーが圧巻し、大御所がボロを出しまくる英国音楽シーンに登場した音楽。それがパンクとレゲエだった。そそ、ジミー・クリフは飛ばしまくっていたし、ボブ・マーレーも生きていた。レゲエは未知なる希望の音楽だった。 英国に展開したDJスタイルのサウンドシステムがロンドンの若者を刺激し、自然な形でパンクと融合。クラッシュ、スリッツ、PIL、ジャパン…。多くのパンク系バンドがレゲエを取り込んだ。取り込まれたエッセンスはムードだったり、リズムパターンだったり、ダブだったり…。 パンク、レゲエが時代を切り開くと信じられていた時代に、その2つを戦略的に摂取し大成功したグループ。それがポリスだ。 僕はデビュー当時のポリスが嫌いだった。だって、ポリスってパンクでもレゲエでもないんだもん。ギターを構える位置が高いとか、オフでミッキー・マウスのトレーナーを着ていたとか、つまり、パンクに対して「切迫感」が見えてこなかった。(服装で判断したのは僕がファッション・パンクスだったからね) デビュー作である本作の収録曲は押し殺した不気味な迫力に満ちている。曲のテンポを上げても、楽々と入り込んでくる超絶なドラムフレーズ。コイツが本気を出したら…、という不気味さ。また、ネイティヴなレゲエの解釈を覆してしまおうという企みを今更ながらに感じる。コードの自由度を上げ、ネイティヴレゲエにロマンティックな要素を忍び混ませて再構成。こいつがヒットしたら、「世界標準のレゲエ」とは『ロクサーヌ』なのだ、という不敵な自信。9度のノートを加えれば、「簡易レゲエ」は完成するじゃんか、という冷徹な戦略家。そして、発明家。 そんなポリスが僕は大嫌いだったわけなのだけれど、25年目に聴く本作は圧倒的な名盤。 確かにポリスは時代状況的にパンクもレゲエも利用したけれども、「世界標準化」の目論見はもっと壮大な計画だったことが判る。

〜ワールドサイドを
歩け!! 17〜



★★★☆(2003.4.14)

 

『シンクロニシティー/ポリス』 何と言っても表題曲が良い!『T』と『U』! 楽典もリズムも万全のアンサンブル、演奏力。クールなようで熱いボーカルの色っぽい魅力。テクノロジーやエスニックへの冷静な距離感。既存の膨大な音楽群から採取したエッセンスを無限に融合したようなメロディは安定感と不安感を同時に保証してくれる。 以下、同様のコンセプトでクオリティの高い楽曲が展開。文句無し。 でも、少し、文句を…。 本作はポップ音楽史を俯瞰で見下ろした年表上では「名作」扱いなわけですよね。紛れもなく。でも、その「名作」って言葉、軽くねぇ? 「よくできました」って感じよ。 ポリス及び、その後、超VIP化したスティングへの気配りが利き過ぎ、っつうか。何て言ったら良いんだろう? ザッパとか、クリムゾンを語る時に漂うような「ドス黒い迫力」が無いの。名作である根拠が「超ヒット曲収録」って言われているような…。 う〜ん、上手く言えないなぁ。なんつーか、もっとヤバい「問題作」って意味で「名作」扱いされるはずだったんじゃないか、と。80年代の名作として列挙されるならば、スプリングスティーンでなく、スロッビンググリッスルなんかと並列に、って感じ。ポリスのVIPな存在感や大衆指向の音楽供給姿勢がそれを許さないのよね。でも、ビートルズって超超VIPでドス黒いじゃん? そうなんだよ、そこにポリスが実践した戦略の「穴」を感じるんだわ。混沌を大衆化する工程でスキルも知性も有り過ぎた、っつう。前衛手法を投入してもビッグヒットは果す、という使命感みたいな。ビートルズは前衛と大衆化を当然のように融合していたわけなのだけれど、ポリスとの差異はユーザーに与えた幻想の質量だったんじゃないかと思う。(「時代の要請」って言っても良いけれど、それじゃ、身も蓋も無いもんね…) あのぉ、僕ったら、どうでも良いことを言っていますか? 僕はこのアルバムに不足した「狂気」に不満なんですよ。

〜名盤山脈 1〜




★★★☆(2003.4.21)

 

『光なき世界/ウィッシュボーン・アッシュ』 ロックを聴く比率が増えた。これが懐古趣味ではないことを確信し、また、改めて確認する為に新企画。 ウィッシュボーン・アッシュったら『アーガス』。僕はそう信じていたし、誰もがそう言うし。しかし、デビュー作である本作と今更出会い、音を再生した瞬間に僕はもう「これ!」と決めた。名盤評価と個人的に聴き込んだ時間は無関係! 聴き進むに連れ、そして、何度も聴き返すに連れ、やっぱり僕にとっての名盤は本作と確信。何が良いって、勢いがあるんだもん。激しい。最初から「洗練」を前提にしていないの。そこが『アーガス』とは違う。ジャムセッション的なアバウトさがあり、長録りの中でキラリと光る一瞬の洗練を逃していない、っつうか。その一瞬に凄まじいデリカシーを感じる。その瞬間を探しながら、こちらもちょっぴり神経質にリスニング。心地良い緊張感。 70年に英国でデビューするってぇこたぁ、彼等はブルースもしっかりと基盤にある大音量バンドであろうとしていたんだろうね。しかし、マッチョではなかったわけだね。歌唱は細いし。グラマラスじゃないし。その自己認識がコンプレックスだったのか、優位な個性だったのかはよく判らないけれど、結果的に非マッチョなテイストは彼等の音楽の核心であるわけですね。リフの組み立て方がナイーブなんだなぁ。ギター2本とベースが各々単音で譜割を揃え、ハーモニーリフを構成する『レディ・ウイスキー』に顕著。単音だぜ、単音! 一見、冗長にも思えるインプロビゼイションの中で部分的に2本のギターがハモッたり、リードとバッキングを入れ替えたり。ギターのオーバーダブも見受けられる。これ、どうやって編曲して、どんな工程で録音したのかな?と僕は想像。とてつもない労力だよな。楽譜に落としたり、緻密なトラックシートを用意しなければ、実現できないような気がしてしまうのだけど、これってDTMに毒された貧弱な発想なのかもね…。

〜歌謡曲を聴く55〜

 

★★★(2003.4.21)

 

『WE ARE JUST TAKING OFF/サディスティックス』 くさい、と思った。ジャケットの表裏に写る4人の写真を見て。あ〜、ばっかしのバンドだなぁ、なんて。 あ、いや、だけで構成されているバンドなんて、この世には無数にあるよな。こんなことを思ったのは初めてだ。 「くささ」とは、その、つまり、狭い空間にギュウギュウに詰め込まれたマッチョな達の窮屈そうな風情、と言うか…。原子力潜水艦っての乗組員ばかりで何ヶ月も海の底で暮らすわけなんでしょ? あんな窮屈さ。しかも、暴れ出したら手がつけられない屈強な達の集団。 ま、つまり、サディスティックスの面々は各々が単独に屈強な人達なのであって、各自がリーダーとして音楽界に振舞えるのであって、事実、振舞ったのであって…。はぁ、そんな人達が一箇所に勢揃いして、フレームに収まってらぁ、なんて。 本作、初めて聴いたぞ。 録音が抜群! ミックスバランス、完璧っスよぉ。だってさ、各パートの音がエゴ満載で主張し合っているのに、こんなに美しくまとまっているんですもん。延々とリードを弾いているようなド派手なベースラインに対して、渾身のドラムフィルは一歩も譲らない。凝りに凝ったキーボードの音色選び。リードは勿論のこと、バッキングに回っても華の在るギター。そんなエレメンツが何故かフレームに収まっている。引くべき箇所は確かに引いていて、各自の見せ場を有効に引き立てるアンサンブルではある。それにしても、遠慮が無いなぁ。遠慮は無いけれど、それでもかなり我慢している気配。特等席にちゃっかり座りながら、「しょーがねぇよ、俺が引かなくっちゃさ…」なんて台詞を吐いているような。 一機の原潜に多国籍の艦長達が乗り合わせてしまったんだね。「今はアイツに舵を任せているけれど、俺が監視しているから安全に航海してるんだもんね」と4人とも思っているんだ。 収録曲は4人が均等に2曲づつ作曲。核爆弾は合議の上で撃つ、と。 恐れ入ります、4人の艦長殿!

〜ワールドサイドを
歩け!! 18〜



★★★☆(2003.4.28)

『Endless game of Cat and Mouse/ウエアハウス』 インテリのこんな態度って鼻につきませんか? 「いやぁ、やはり、健康は食事からでしょ、食事。僕ぁ、玄米食を始めてからもう20年になるかなぁ。それ以来、病気知らずだよぉ。あとね、タイから取り寄せているんだけどさぁ…。」 あぁ、もうわかったよ。っつか、もう聞いてねぇよ。ごめん、途中から考え事してたわ。 このバンドの音をライヴで聴いた時、ふと、そんな嫌味な自慢かな、と身構えた。ギター、ベースにマリンバを中心とした打楽器が加わったトリオのジャズバンド。経験値の高そうな日本人中年3人組(打楽器は女性)。 変拍子や細かくて複雑なユニゾンはキング・クリムゾンの前衛的なジャズ風味を感じさせる。いや、それはまだいい。蛇笛(インド?)やリコーダーを使った民族音楽的な要素もあって和む。カズーによる組曲など、ちょっと、コミカルでもある。演奏はむちゃくちゃ上手い。 なんつーの? 「やっぱ、民族音楽に感じるナチュラルな癒しとかさぁ、子供にも楽しんでもらえるバイブレーションって言うかぁ、遊び心? 音楽ってそういうもんでしょ?」みたいな"良い人"っぽさ。僕、そーいうの苦手。 ところが、楽曲の進行につれ、僕はガードを下げて、熱中した。この人達は玄米を食べているんだろうけど、その食べ方がズッコケてんだな。ソースをぶっかけて「ソースごはん」にしちゃってる、みたいな。しかも、そのソースは市販の安物。人口調味料がはいってるだろ! そんな脇の甘さが、なんだか楽しかった。 珍しくライブ会場で即買いした本作。 ほー、シンセも使ってんだぁ。プログレ色はライブ以上に強い。 ロバート・フリップが好きなんだね。一連の実験性や民族性がテクノと紙一重なんだな。それこそが、「脇の甘さ」であり、このバンドの娯楽性だと納得。 しかし、この複雑な演奏を彼等はライブで演奏するんだよ。ベースを弾きながら、同時にバスドラムを踏んでカズーを吹いちゃうんだ。鼻につく?

〜歌謡曲を聴く56〜

 

★★★(2003.4.28)

『ぼくがつくった愛のうた/チューリップ(5)』 アビーロードスタジオ。この名前を聞いただけでウットリしてしまうアナタ。僕と同類の人間ですね。ロンドン旅行の際には立ち寄りましたか? 立ち寄るっつうか、それが目的だったりして? そうそう、セント・ジョンズ・ウッドの。 横断歩道は渡りました? 壁に落書きしました? 僕は、ドア前の石段を見ただけで、胸が一杯になりましたね。目の前にある石段の上でジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人が片足上げてポーズを取って…。 いやいや、そんな事象のせいでウットリするわけじゃないですよね、僕達は。僕もアナタもアビーロードスタジオの内部で起こった出来事をよ〜く知っているんです。あのスタジオが「魔法の館」だから、ですよね。僕達にとっての「聖域」、なんですよね! さて、本作は熱烈なビートルズ信奉者が勢い余って「聖域」に乗り込んで制作したアルバム。 『私のアイドル』はストレートなビートルズへの恋歌だ。『イエロー・サブマリン』でジョンが使用した鉄製メガフォンの音や、ポールが『マイ・ラヴ』で使用したエレピが登場する。相変わらずビートルズに生き写しの楽曲は多く、中後期の楽曲が原曲としてスンナリと思い出される。 もし、ジョージ・マーティンが本作のレコーディングを見物したならば、きっと言うだろう。「このスタジオを使いたがるのは、こんな連中ばかりか…。私達の"魔法"をなぞっているだけじゃないか」 おっしゃる通りです(おっしゃっていないけど)。後続が「聖域」で物創りをする姿勢とは、「神の物真似」をすることであってはならない。それは判る。充分に判る。しかし…。 もしも、僕が何かの間違いで「聖域」に乗り込んだとしたら…。やっぱり、やっちゃうんだろうなぁ、「神の物真似」を。 ビジュアルにも託されたコンセプト指向を含め、本作は『サージェント・ペッパーズ』だ。ビートルズ模倣期の頂点。 そして、「バイバイ、私のアイドル」という歌詞が決別宣言になった。 (関連・6)



★★★★(2003.5.05)

『アメリカン・ライフ/マドンナ』 トートツに新譜。テーマは「反戦と反物質主義、反ファッション業界」。 21世紀の自身の立ち位置を確認し、宣言するアルバム、と考えて良いだろう。「20世紀マドンナ」は完全に葬られた。 僕が受けた今回のアルバムの印象を一言で言えは、「問答無用」。ダイレクトでタフなマドンナ。 もはや、精神性や理論の中で穏やかに深呼吸している場合じゃない、っつう勇み肌が全開。攻撃性は高い。 しかし、音楽はバラエティに富み、ポップ。収録楽曲のクオリティは近年では最高、でしょ! ジャケ写はモノトーン、そして瞳の奥に意志を宿しながらクールに挑む眼差しのマドンナ。そのイメージが100%音楽にシフトされる。 時に穏やかに、そして時に激しく苛立つマドンナの声素晴らしいシンガーだ! いつになく歌が聴き易いミックスの音像や優れたメロディを上回る表現力。そして、情動。 加えて、パッドやストリングスによる「白玉」の持続音が無いドライなサウンドがモノトーン。マドンナにしては珍しく隙間だらけの空間に、EQで正体を失ったかのような超高音ハイハットや、低音に行かないシンセベースや、生ギターと相反する電子音などが入れ替わり立ち代りに登場する。さながら、物の怪。次から次に仕掛けられる過激なアイディアはバラエティを保証するが、しかし、統一された規制を逸脱しない。結果、全体の印象はドライに色彩を喪失。 「判り易く過激な音」を望む姿勢で聴く本作は物足りないのかも知れないぜ。しかしねぇ。全ての矛盾を飲み込みながら、高品位リスニングに完全に対応し、なおかつ、アルバムの統一性を死守した奇跡的な成果に僕は鳥肌が立った。 それにしても、マドンナはどんどん良くなっていくなぁ。青天井の右肩上がり。素敵な生き様だよね、素直に。 そして、マドンナが素敵に進化し続ける極意の核心が本作に明らか。 本作の真のテーマは「反マドンナ(パブリックイメージとしての)」だ。 関連(

〜Drive to 80's
Vol.31〜




★★★(2003.5.05)

『野獣の館/ストラングラーズ(1)』 僕の個人的な体験なのかも知れないけれど、80年代を生き抜く上でストラングラーズは欠かせなかった。彼等は僕の精神に、そして多分、ポップスの歴史にクッキリと爪痕を残し、そして今、忘却され、風化しようとしている。僭越ではありますが、僕に彼等の偉大さを証言させてくださいな。 本作がデビュー盤。 のっけから、ダダダダッとたたみかけるビートが登場。彼等のトレードマーク。ダダダダッ。 その実態は、クールでスクエアに8ビートを死守するドラムス、そして、同一リズムでシンクするリズムギターとベース。時にオルガンもシンク(時にシンセシークエンスのようにビートを装飾)。この弾丸ビートの中でベースが強い自己主張で浮かび上がる。トレブルを効かせた音質のせいもあるし、ミックスバランスが突出しているせいでもある。しかし、そのトリックは今となっては単純。コードを構成するノートをベースだけが単音で分散(分解)して、フレーズを組んでいるから目立ち易いのね。そう、メロディアスな印象。そんなベースのピッキングタイミングでギターはコードを添えるわけだから、結果、ギターはリズムの補佐担当なわけで。つまり、ベースが全体のビートを主導するスタイルは事前に細かく計算されていたはずだ。結構、丁寧にアレンジされたベースラインだと思う。そして、結果的にストラングラーズのビートが重圧的ではあるけれど、暴走している印象が無いのも、「丁寧にアレンジされたベース主導型」という演奏形態によるものだと思う。パンクであって、「お馴染みのパンク」とは決定的に違う。言ってしまえば、神経質なんだよね。 勿論、ヒュー・コーンウェルのボーカルや、せわしなく動くオルガンのリードも格別に神経質。しかし、デビュー盤ではひとまずジャン・ジャック・バーネルのベースラインの神経質さを指摘しておく。 このデビュー盤から平穏な道を歩みようもなかった異端のパンクバンドだ。 関連(

〜名盤山脈 2〜




★★★☆(2003.5.12)
『地獄へ行く/アリス・クーパー』 ごめん、言いそびれていた話があるんだ。今、初めて打明ける。いや、悪意とかで隠したわけじゃない。どうか、気を確かに持って聞いて欲しい。いやいや、ゲイだとかカツラだとか、そーいう類の話ではなく…。 どういうわけだか、これまで全く触れる機会が無かったのだけれど、僕はアリス・クーパーの大ファンなんですぅ。 70年代までのアルバムは全てアナログで揃えていた。いわゆる「ボブ・エズリン期」、ね。そう、ルー・リードやキッスにも大貢献したプロデューサーですね。ボブのトゥーマッチな娯楽指向とアリスの相性は抜群。ハードロックを単純なカタルシスには終らせない。大袈裟な演出方針がアリスのふざけ半分の大仰なセンスと相まって馬鹿馬鹿しくも豪華。ミュージカルを観ているような気分だ。 僕はパンク期にさえも、アリスだけは聴き続けていた。そー言えば、当時、アリス・クーパーを「パンクアーティスト」として紹介した雑誌があったっけな。メイクとレザーのコスチュームに騙された? いやいや、パンクの要素はとっくに内包していたんだよ、アリスは! 大好きなアリスの作品中、最も素晴らしいのが本作。ハードでファンキーでポップ。そして、どこかサイケデリック。ロマンティックでファンタスティックでメランコリック。本作はソロ名義作(個人名とグループ名が同じだから混乱しちゃうけど)なのであって、いつもの“ごきげんなバンド”の音とは少し違う。しかし、音の在り方はいつもと同じ。贅肉の無いロックンロールブギー。ピアノがロマンティックな色合いを加えても、タイトな印象を崩さない。ハード曲が切なくて、メロウバラードが熱い。楽曲はバラエティに富んでいるのだけれど、一本のスジが通っている。全楽曲の身が締まっている。「娯楽性を最上限に持ったパンク」なのだよ、これは。 ゲテモノの印象が強いアリス。冒頭の僕の告白に免じて、彼の音楽と出会ってください。せめて『I Never Cry』一曲でも!

〜歌謡曲を聴く57〜

 

★★★(2003.5.12)

『ライアー/小泉今日子(5)』 86年リリース。小泉さんが過激なカラーを打ち出し始めたのって、この辺り? 僕は『KOIZUMI IN THE HOUSE』まで、あんまり興味が無かったので詳しくないの。 だから、本作を200円で入手した時も、200円相当の内容しか期待していなかった。ほ〜ら、やっぱり、「純アイドル期」の小泉さんじゃ駄目じゃん、って言いたかったような気がする。嫌ですねぇ、こーいう態度。何様よ、俺様って。 かれこれ、10回は繰り返して聴きましたね、本作。面白いんだもん。 サウンドは悪い意味で86年の音。軽薄なリズムマシーンやシンセベース。アレルギーがあるんだよねぇ、僕。蕁麻疹が出るんだよねぇ。などと、意地悪な態度の僕。 複数の作詞家・作曲家・編曲家のコンペティッションによる楽曲は、統一感は無いが、作家性が色濃い。それはもう、小泉今日子というシンガーになんぞ、爪の先ほども期待しちゃいねぇ、っつうくらいに楽曲に力が込められている。歌唱でなく、楽曲を聴けっ、つう気合い、ね。キョンキョンにも未完成の次期が在ったんですねぇ。 『I Love You』という野村義夫の提供曲はGood−Byeの制作コンセプトが、本家以上に成果を収めている。マッカートニーなイントロコーラスで幕を開け、クイーンの『ボヘミアンラプソディ』をストリングスと高音シャウトコーラスで不細工になぞってみせる仕掛けに腹がよじれた。 ヨッチャン以外にも、EPO、巻上公一(!)、タケカワユキヒデ、久保田利伸らが楽曲を提供。この人選、どうよ? 『美しきグロテスク』『おネエさんはタダ者じゃない』など、歌詞が耳に残る楽曲が多い。まだまだ、「言葉遊び」の次元ではあるけれども、「ただならぬ場所」に行きたがっている気概は充分に伝わって来る。 今になってみれば、「あのキョンキョンの過去」に過ぎない。しかし、86年に「タダ者じゃないキョンキョン」を想定した壮大なプランには素直に頭が下がる。 (

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