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メレンゲ今週のCDご紹介42

マーク・アーモンド(1)、マーク・アーモンド(2)、フランス・ギャル、山本リンダ、ジェーン・バーキン&セルジュ・ゲーンズブール、
CHAGE & ASKA、ゾンビーズ、ストラングラーズ(2)、クリス・スペディング、レモン

評価は5段階です。(★が得点。☆はオマケ)

〜Drive to 80's Vol.32〜



★★★☆(2003.5.19)

『化身(VERMINE IN ERMINE)/マーク・アーモンド(1)』 平凡と非凡。 なんとなく、非凡の方が偉い気がしてしまう。言い換えれば、普通と特殊。多数派と少数派、など。 しかし、「非凡が偉い」なんっつう発想も随分と子供っぽいやねぇ。第一、両者の線引き自体が曖昧だべ? だから、「非凡指向」の人は、都合良く主観的に判断して自己申告も出来てしまうわけでして。ま、そーいう「自称“非凡な人”」にとって、インターネットは規制の無い自己申告の場。そう、そんな人間は平凡で普通で多数派。僕も。 線引きが曖昧で抽象的である以上、判断基準は徹底した客観しかあり得ないよね。っつうわけで、客観的に見て、マーク・アーモンドは非凡で特殊な少数派です。正確に言えば、世界に一人しか存在しない絶滅寸前の「種」ですね。 この人の音楽を聴いていると、客観視点で少数派に括られてしまうことの恐怖感を思い知る。少数派として取り残されながら、そんな立場を引き受けて雄雄しく存在することの心細さと気高さを、この音楽に厳粛に感じてしまうわけですね。 特殊な少数派であったニューウェーヴ系音楽がとっくに多数派として確立された時、徒党を組んでやがるくせに少数派や孤高をポーズにした時点でニューウェーヴなんつうもんは終っていた。少なくとも「おニュー」であった段階を終了した。「自称“非凡な人”」と同様に、3番目くらいの派閥に属しながら、「トップ派閥に対して少数派」って主張していたわけですね。ダサいですね。 自ら望んでそうなったのかは不明だけれども、マーク・アーモンドこそ孤高。 84年リリースの本作にはソフトセル時代の饒舌な歌唱スタイルの尻尾が見てとれる。その歌唱法自体がワン&オンリー。そして、デイブ・ボールとテクノ手法を失ったが故の不細工なバックトラックが他の誰のスタイルとも一致しない。不具を抱えたかのように、ロックフォーマットを執拗に回避しながら、ストリングスやホーンズをテクノの視点で再構築。 非凡だ! (関連:ソフトセル) 関連HP(marcmania

〜ワールドサイドを
歩け!! 19〜



★★★★(2003.5.19)

 

『テニメント・シンフォニー/マーク・アーモンド(2)』 マーク・アーモンドにワン&オンリーの印象を持つ根拠なんですけどぉ。 ぶっちゃけ、この人の歌うメロディっていつも同じだと思いません? あ、いや、全く同じメロディを別タイトルでクレジットして歌詞を替えて歌っているとかって意味でなく…。よーするに楽曲毎の差が極端に少なく聴こえるの。特異な歌い回しがしつこく多用される、っつか。つまり…、ワン・パターンなんスよね。ボーカルトラックだけを抜き出して聴いたら、きっと、アルバム数枚を続けて聴いても、2〜3曲のバリエーションしか聴こえないんじゃないか、と。 にも関わらず、僕なんぞはアルバム毎に別のキャラクターを認識しているわけでして。 ジャケ写に映るアーモンドの髪型が違うとかって話はあるにせよ…、そーいうんでなく…。 バックトラックの指向性がアルバム毎に違うわけですね。 91年リリースの本作には明らかにハウスの感覚が内包されている。ハウス系ビートに乗った独自の解釈によるシャンソン。オーケストラとリズムマシーンの融合がまず、ヤバい。重厚にして無機質。毎度お馴染みの低いキーで歌いだす声には感情が在るような無いような…。苦悩を表現していると理解出来る歌唱にあってさえ、苦悩の根源をキャッチさせてくれない。この事情を、性を超越した彼の私生活を理由に片付けてしまうのは簡単だけれども、もっと狙い込まれた戦略が在るような気がするなぁ。歌い手に集中された感情が唇から3m以内のエリアに向かって発せられているような。宮廷の音楽や芝居のように、意図的に対象を限定しているような印象。結果的に、僕はマーク・アーモンドと激しく向かい合うリスニングを強要される。 生バンドをバックに従えたアルバムでも、彼の室内指向は貫かれている。しかし、テクノとの相性がそうであったように、ハウスとの相性は抜群。サウンドの内側で美学が完結。 ジャック・ブレルのカヴァ『Jacky』、涙が出るほど美しい。  (関連:ソフトセル) 関連HP(marcmania

〜名盤山脈 3〜




★★★☆(2003.5.26)

 

『1968/フランス・ギャル』 60年代フレンチのイエイエ。それは、60年代ニッポンのGSと同じくらい、いえいえ、それ以上に勘違いしたロックの解釈。いえいえ…。 常々、僕が色々と希望している活き活きと理想的なイエイエの行け行けな条件は、(1)電気ベースはピックで演奏。(2)ストリングスやフルートを甘ったるく導入。(3)ドラムスがJAZZタッチ(フィルのセンスとか、打撃の軽やかさとか。←スティックの握り方、っつうの?)。(4)エフェクターをエコーとファズに限定した電気ギター&レズリースピーカーで鳴らすオルガン。(5)声量の無い可愛い子ちゃんが精一杯に声を張り上げて喉を締めた歌唱を苦しそうに多用する。 いやいや、いよいよ厳しい5つの条件。あ、大概のイエイエって、こんなパターンなんスけどね…。いーよいーよ。 軽々と条件をクリアしたものの、何のヒネリも無いタイトルの本作ではある。しかし、「1968年」という年号こそが、このアルバムの、そしてイエイエの本質を激しく露呈している。そう、「サマー・オブ・ラヴ」の翌年なんですね。『Sgt.ペッパーズ』の翌年。 シタールなんかも導入しちゃって、お姫様はサイケ気取り。イェイェ! つまり、イエイエは主流を非主流圏で追随する音楽なんですね。英国&米国間で勝手に同盟しちゃって、盛り上がるサイケムーヴメント(36年後のイラク攻撃も!)にあぶれちゃった非英語圏の国家が、主流を意識しながらも拗ねちゃってる、みたいな…。 しかし、お姫様の拗ね方は素敵だぞぉ。アシッド感無きサイケを実現。「所詮、サイケだ何だって言っても、ポップ音楽に違いないでしょ? サウンドの在り方が変っただけの話じゃないのさ!」なんつって、拗ねちゃった姫様。言え言え! ジョン・レノンやジム・モリソンが歌わなければ、サイケの正体なんてこんなものよ、とばかりに状況を暴く。結果的にブームとは別次元の音楽純度を獲得。 いやいや、素敵なイエイエ。 関連(

〜歌謡曲を聴く58〜




★★★(2003.5.26)

※ジャケは
『狙いうち』を使用

『プレイバック・シリーズ/山本リンダ』 山本リンダって、オリジナルだよなぁ。 カマトトアイドルから端を発し、お色気路線で再ブレイクっつうポジションも確かに凄かった。ルックスや存在感にも確実な特異性が在る。そのスタイルを多くの後続に真似はされたけれども、肩を並べるライバルは不在。しかし、「お色気期」(=絶頂期)のシングル集を聴き通せば、そんなレベルの独自性なんてどーでも良くなって来るね。 声と発声だべ! 発声練習が出来ている。声が一直線に出ていますね。で、上っ面のムードからは「激しい発声」に感じるのだけれど、実は声が太くないんだね。細い顔の骨格(反響が小さい)をダイレクトに反映させた独特の細い声薄い唇の口を細い顎に逆らって大きく開けて発せられる声。ここまで、顔の造りが声に反映した例も稀だろう。言っていまえば上品な「マダム声」。それが激しく高揚する瞬間にインモラルなお色気を発するわけですね。メロディのピークで激しく発声する瞬間に声が軽く裏返る。カマトト期のデビュー曲でも声の裏返りが最大の商品力だったわけで、本人にもプロダクションにも「個性」として認識されていた歌唱法なのだろう。しかし、デビュー曲に比べたら、裏返りの幅が狭いんだね。「裏返りレンジ」のパラメータを狭く設定しているの。しかも、全体に驚く程キーが低く設定されていて、ドスをかました低音域からガーッと上昇して声が裏返る、っつう荒技をこれでもかと見せつける。(ただし、低い音域は得意ではないようで、ドスをかます前に声が震えちゃっている箇所が多いのは、ちょい気になりますね) 一曲毎に企画性と創意を深く込めた編曲が素晴らしい。都倉俊一の編曲はリスナーの耳に強引に割り込み、振り付けを伴ってテレビ映えする過剰なアプローチ。このコンセプトはピンクレディに多く流用されている。思わず『SOS』を歌ってしまいそうな『狙い撃ち』のベースとストリングスのコンビネーション。これ、大発明ね!

〜ワールドサイドも
観て!!〜




★★★★(2003.6.02)
『バーキンbyゲンズブール/ジェーン・バーキン&セルジュ・ゲーンズブール』 至福のDVD。 1974年にオンエアされたTV特番の映像。スタジオ内に設えられた安手のセットでバーキンとゲンズブールがこれでもかと口パクしまくる。 若い頃(ストレートのロングヘア時代、と言うか…)のバーキンの映像には何度もウットリとさせられたけれど、この映像がNo1っ!! 断固。 邪魔な芝居が無いのがいい。音楽が主体であることがいい。そして、セルジュの思惑を反映した演出の言いなりに操られているバーキンが圧倒的にいい。意思や人格を喪失したロリータ人形としてのバーキンの魅力が100%。 冒頭で、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズのトラックに合わせ、エロチックにダンス。面積の少ないチビTとホットパンツの下は・・・、下着は着けていないな、こりゃ。何故?ってくらいに嬉々とした笑顔で意外にも達者なダンスを披露。演出意図も壊れているけれど、従順に踊るバーキンは不気味なまでに無垢で壊れている。 一方、モンロースタイルで登場したバーキン。偽物の巨乳に向かってセルジュは下卑た笑いで歌いかける。ペチャパイの悪夢(?)から解放されたバーキンの天真爛漫な笑顔。 土人達(敢えて言う! 土人!)に拘束されて責めたてられるバーキンの映像を鑑賞するバーキンとセルジュ。顔をしかめながらソフトクリームを舐めるバーキン、その隣で、「ふんふん」なんて冷静に、そして軽く満足気な表情のセルジュ。 全ての映像が現実と妄想を反転させたように、異常な屈折率を持っている。 こんな形でしか、バーキンを愛せなかったセルジュ。その愛に懸命に応えながら、(セルジュの)妄想の中の住人として幸福感を抑制出来ない笑顔のバーキン。自身の全ての人格をセルジュに預け切ることでしか、バーキンの愛もまた表現出来なかったのかも知れない。 ジョン&ヨーコとは全く次元の違う凄絶なカップル。 「変態」という称号は彼等にとっては、最大の賛辞だ。 世界一の変態カップル。 ジュテーム! (関連
〜歌謡曲を聴く59〜




★★(2003.6.02)
『SUPER BEST U/CHAGE & ASKA』 200円(!)で購入した中古CDを長らく放置。重い腰を上げて聴いた。 あ、一言多いですかね? 多いね。 不思議なデュオだよなぁ、改めて…。 熱いのだけれど、汗の匂いがしない。すごく音楽的だと思うのだけれど、そのレベルの高さが伝わりにくい。僕が以前から彼等に抱いていた「ちゃっかりさん」ってな印象が音の中にも漂っていた。「ちゃっかりさん」ってのはさぁ、小器用で、抜け目無くて、洗練度が高い、っつうか。言い換えれば、頭が良くてスキルが高いって意味ですね。つまり、かなり優秀。あ、今更言うまでもないっスね。 で、その優秀さがことごとく音楽を薄めているような居心地悪さを感じたの。だってさ、飛鳥涼の歌唱は熱いんだよ、なにしろ。しかしアウトプットは透明な印象。クリスタル、なんとなく。 楽曲の幅も広く、すっごくよく出来ているのに、均一的な印象になってしまうの。ボーッと流れて行ってしまうの。 何故? まず、サウンドだよな。80年代かく在るべし、って感じのサウンド構成。リンのドラムマシーンにDX−7、そしてコーラス処理されたギターのシャラ〜〜ン。軽薄。ソウルが無い。こんなはずじゃない! また、プログラミングのセンスが古い。あ〜、こんなタムのコンビネーションあったよな、な〜んて懐かしいのだけれど、懐かしみたくないし…。ゴテゴテしたサウンドに埋もれた飛鳥の歌唱を更にリヴァーブが覆い、歌唱は平面的にペタ〜と張り付いた印象。これを洗練と呼ぶならば、その通りだとも思う。しかし、大事なモノをスポイルする方針の洗練には違いない。ま、それでバカ売れしたのだから、良いんだけどさ。 飛鳥って、もっと凄い、とんでもない素材だと思うんだが…。でしょ? それからCHAGEのコーラスって複雑なラインなのだけど、必ずやリードと譜割が揃ってるのな。カウンターとか無いの。これがまた均一的で妙に上品で、一旦慣れたら退屈。 チャゲアス、翔んでくれよぉ!

〜名盤山脈 4〜





★★★★(2003.6.09)
『オデッセイ・アンド・オラクル/ゾンビーズ』 ディスクを再生機にセットして、スイッチを押して、わずか10秒後には幸福な気分に包み込まれる。 だったら、不幸な気分の時には、迷わずにそんな音楽を聴けばいい。ところが、不幸な気分の時にはいつだって、そんな音楽を思い出せない。ま、心に余裕が無くなるわけですね。 確実に幸福な気分になれるディスクは僕にとって何枚も在るはずなのに、今、羅列しようとしてみたら、全然思い出せないや。仕方ねぇなぁ。仕方ないから、不幸な気分になってしまうかも知れない未来の僕の為にメモを残しておこうっと。気分が塞いだら、迷わずにゾンビーズの本作を聴くこと! どういうわけだか、僕は60年代のブリティッシュポップを聴いていると、古き良き英国を懐かしく思い出す。幼少時に英国に住んだり旅行した経験は無いわけだから、懐かしさには全く根拠なんて無い。何て言うのか、僕と英国のインチキな記憶が出来上がっているみたいなのよね。幼少時に英国の芝生に寝そべって、心地良い湿気を感じていたような気がするの。仕方ねぇなぁ。有り得ないんだけどねぇ。 あ、子供の頃に『小さな恋のメロディ』で観た光景を記憶として刷り込んじゃったかな? 仕方ねぇなぁ。 60年代英国ポップ中でも、本作から漂う湿気は絶品。ホテルの客室で乾燥に我慢出来ない時にはルームサービスに注文すると良い。加湿器でなく、ゾンビーズの音楽を至急届けてくれ、と。 68年にアビーロードスタジオで制作された本作は、環境的・時代的に当然の様に『Sgt.ペッパーズ』の影響下に在る。『ペット・サウンズ』への解答でもあるように思える。でも、僕にとっての本作は、その2枚の歴史的名盤と決定的に違う。英国気質、英国感覚が有るか無いか、という差ね。だから、本作は僕には懐かしく、幸福な気分の素なんだ。 英国感覚への僕の不思議な懐かしさって、つまり、僕はロッド・アージェントの生まれ変わり? えっ? まだ生きているって? 仕方ねぇなぁ。 関連

〜Drive to 80's Vol.33〜





★★★★(2003.6.09)
『ノー・モア・ヒーローズ/ストラングラーズ(2)』 今では信じ難い話かも知れない。でも、どうか、僕とパンクの出会い話を聞いて欲しい。 皆さんと同じように、僕もNHKの海外ニュースでセックス・ピストルズの映像を見た。シングルのプロモ映像。どこか演出された風情(コスチュームとか態度)以外に注目すべきものは無かった。歌詞が過激で歌い回しが変テコなハード・ロックンロール。それだけ。 早くも、「パンクロックの底」が知れた。わずか3分間で、「僕のパンク」は一旦終った。その後、パンクは僕にとって、ファッションや髪型だけの興味でしかなかったな。 いわゆる「ファーストウェーヴ」は、しかし、少数の日本人リスナーを獲得していた。ジャム、クラッシュ、ダムド、ストラングラーズ…。情報に踊らされてんじゃねぇよ! でも、オマエらがそんなに好きなら、もう一度だけ聴いてやってもいいぜ。 僕はさしあたってストラングラーズを選択。理由は(1)ピストルズから最もルックスが遠い。(2)妙に日本での人気が高い。(3)キーボードが入っているらしい。 このバンドで駄目なら、もうパンクには期待しない。もともと期待なんかしていないし。 本作を購入して、ドキドキすることもなく再生。 1曲目、『I Feel Like A Wog』。 頼りなく揺れるオルガンに導かれ、5秒後にベースとドラムが戦車ビートで切り込む。この瞬間、僕に見えていた全ての景色が変貌した。 あぁぁ、理解出来る! オマエらがパンクロックに夢中になっている意味を僕は今明確に理解している。 11秒後のギターで心臓がバクバクする。23秒後にヒュー・コーンウェルが吐き出すように歌い始めた瞬間に、その後の「僕の10年間」が決定した。 全く振り返ることなく疾走した僕の80年代は、この曲で始まった。後悔は無い。 当時は、アルバム表題曲が「パンクのスローガン」として支持されていた(シングル曲だし、ね)。しかし、僕は、今聴いても、『I Feel Like A Wog』に熱く血が騒ぐのです。 関連(

〜名盤山脈 5〜





★★★☆(2003.6.09)
『Chris Spedding/クリス・スペディング』 「こんばんわ、森進一です」 最近では滅多に聞かれないけれども、物真似の定番。他にも、トシちゃんの笑い方とか、ひばりサンの「ありがとっ」とか、前川清の「うぁうわぅ」とか…。 いづれも、本家が一時代を築いたトップスターであり、強烈な個性の持ち主であったわけです。特に、その個性が声に強く顕れていたが故に、物真似の対象として定番化したわけですね。 また、エリック・クラプトンのコンサートを観た時に僕は驚いたわけです。ギターを何本か持ち替えるわけなのだけど、基本的なトーンが変らないんだわ。フェンダーもギブソンも根底で同じトーンを守っているの。つまり、「クラプトンのトーン」ってぇものがシッカリと存在しいて、御本人もそのことを自覚し、また、それを自身の個性としている、と。サンタナなんかも、ね。 さて、時代を築いたロックギタリストの個性をメドレー形式で物真似してみせたのが本作収録の『ギター・ジャンボリー』。ショーパブ系の物真似名人が同一曲の中で複数の物真似をメドレーする昔懐かしいアレと同じ。(「五木ひろし〜」とか「松山千春〜」って紹介しながら真似するヤツね!)。 アルバート・キングから始まり、チャック・ベリー、ジミヘン(ライブ版では声真似もあり)が登場する。やがて、ジャック・ブルースのベースに導かれ、お馴染みのスタープレイヤーが続々と登場。露骨に有名曲のフレーズを弾いているケースもあるのだけれど、なんつっても楽しいのはポール・コゾフの物真似がチョーキング一発だけ、っつう…。そう、「こんばんわ、森進一です」と同じく、偉大な個性への的確なリスペクトなのですね。 ブライアン・フェリーやアンディ・フレイザーとのコラボレートやフリージャズ作品から知的な匂いを漂わせていたスペディングのシンプルなR&Rアルバム。10代で初めて聴いた時は頭悪くてガッカリしたけれども、今の僕には本作に込められた彼の誇り高きR&R魂が理解出来る。



σ(←レモンマーク)
(2003.6.16)
※あたなが採点してくださいね!
『みじかいホープ、その他。/レモン』 人気者、レモンちゃんのソロアルバム。 60年代〜70年代のフィルターを一度くぐらせてR&Bを再解釈した、みたいな楽曲群がダブり無しで収録。 「あ、そか・・・。こんな解釈もあったかぁ」なんつって、一曲一曲を楽しめる。別ベクトルの収録曲7曲が散漫な印象を与えないのはレモンの歌声が一本化されているせいなのだろう。 身体も態度も豪快サンで、姉御肌なイメージのレモンちゃんではある。でも、僕は彼女のライブを観る度に、「こんなタイプに限って、繊細で傷つきやすかったりすんだよ・・・」な〜んて感じていた。 あのタフでパワフルな爆乳を観ながら聴くレモンの歌声には、タフな印象が後付けで加わっていたと思う。僕達は勘違いさせられていた、と。まったくトリッキーな乳だぜ、こんちくしょう! あ、オッパイだけを観てたわけじゃないんスけどね・・・。 こうして、ビジュアルの無いCDで向かい合うレモンは案の定、デリカシーのある女だった。いや、デリカシーのあり過ぎる女だ。 力強いはずのメロディにさえも、心細そうな声が聴こえる。他者への依存を求めているかのような“細さ”が根底にある。ちっともタフじゃない。 面白い事に気づいたんだよ。レモンの歌ってめちゃくちゃ「ブレス」が聴こえるのな。ジャネット・ジャクソンみたいに意図的に操作されたブレスじゃなくて、「ここで、酸素が欲しいっ」っつう切実な息継ぎとしてキッチリと聴こえるんだわ。 自己主張の強いバッキング(特にギター)に対して、メロディラインにすがりついているように丁寧な歌い方で応えるレモン。そのせいか僕にはスローな楽曲がしっくり来た。声とのフィット感で言うなら、『未だ見ぬ世界』がベストトラックだと思うね。サビに行く瞬間に不安定に揺れる声の繊細さこそが、「レモンの人格」だと思えた。あれを歌う瞬間はオッパイも揺れたんでしょうか?>レモンちゃん 立体感(っつか奥行き)の希薄なミックスが僕には残念でした。

【メレンゲでGo!! HOME】  『メレンゲ今週のCD』

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