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メレンゲ今週のCDご紹介43

サンタナ(1)、サンタナ(2)、エルビス・プレスリー、EDPS(恒松正敏)、ベルベット・ゴールドマイン、
桜田淳子、イ・プー、ストラングラーズ(3)、ピンク・フロイド、山口百恵

評価は5段階です。(★が得点。☆はオマケ)

〜名盤山脈 6〜



★★★★(2003.6.23)

『サンタナ/サンタナ』 何がすげぇって、ラテンとロックが合体しちゃったことだね。 米国の王道ポップス(ロックとか、ブルースとか…)が南米の音楽に影響したものを更にフィードバックしちゃったわけですね。これ、簡単なことじゃないぜぇ。 ウッドストックのライブ映像で、初期サンタナの演奏を聴いていると、聴衆の口が開きっぱなしだったんじゃないか、と心配になってしまう。 デビュー作。主役は言うまでもなくパーカッション。圧倒的に。 確かにギターも歌もオルガンも存在感があって高品質ではある。しかし、パーカッションが繰り広げる魅惑のリズム攻撃の道先案内をしているような厳粛な“制御”を感じる。一見、暴走しているカルロスのギターも、キッチリと役割を認識しているのが判る。(何故か、僕は『勧進帳』の弁慶を思い出す。) つまり、かなり知的なアンサンブル。 恐ろしく正確なベースとキックのタイミング。そのタイミングの“間”が肝心だ。言い換えれば、アクセントとアクセントの間に埋まっているモノ、ね。 “間”で展開する拍の分解が均一じゃないのな。独特のバネで、ハネたリズムが高速で時間を自在に切り取るの。16分の裏の間を活かしたビートと2拍3連に16分のニュアンスを加えたビートが楽勝で融合して、ポリリズムを形成。 うんにゃ、そんなもんはラテン音楽を聴いていれば、今更に大騒ぎするような話ではない。 しかし、本作で聴くポリリズムは純正ラテンとは違う。それは、アクセントの在り方が“ロック的”だということだ。うーん、8分音符でアクセントが決定されているって意味じゃないなぁ。アクセントの強さがロック的なんだよね。キックの踏み込みが強くて、電気ベースのアタックが強い、っつうか。 長いキャリアを持つアーティストのディスコグラフィの中でデビュー作が最高傑作という話は多々ある。サンタナにはヒットアルバムが多いわけなのだけど、どれもデビュー作を超えてはいないと思う。

〜ワールドサイドを
歩け!! 20〜



★★★☆(2003.6.23)

 

『サンタナV/サンタナ』 サンタナは初期の3枚だねぇ、なんて人は案外と多いのだろう。 そうそう、クロスオーバーもムード音楽も必要無し、と。 僕も賛成。 で、大方はセカンドを選ぶのでしょう。そうそう、『Black Magic Woman』の。あ、僕も大好き。 でも、サードを選ぶんですねぇ。 セカンドって、ロックとラテンの融合って意味では完成形と思えるわけですよ。ところが、サードは、ロックとラテン以外に“ジャズの気配”が感じられるのな。でも、ジャズに対する信仰心(!)はほどほど。ここがポイントね。まだ、アバズレてんだ。ロックの視点を喪失していない、っつうか。これは歴史上、たった一回だけ有効だったミクスチャーだね。やったもん勝ち。さっさとやっちゃったサンタナはさっさと勝ち逃げ。かっこいい。 ミクスチャー! そうそう、ミクスチャーロックなんだね、本作は。ミクスチャーロックの先駆者って、つまりはサンタナとスライとジミヘン、ってとこ?(ロックの派生自体がそもそも・・・って話は無しとして…) 今、挙げた3者ってさ、アルバムを立て続けに聴くと、軸足の位置が微妙に移動するじゃない? ミクスチャーのバランスをミクロで模索している、と言うか。簡単に言えば、ロックとファンクの座標上で、どの位置に軸足を置くかを懸命に試行錯誤している、っつう。 その意味で、僕は本作、好きなんですぅ。一歩も軸足を移動出来ない位置を正確に計測出来てんだよ。ま、当然、その正確さに息苦しい印象を抱くリスナーもいるのかも知れないね。アッパラパーな印象は希薄だし。パーカッションが白熱のリズムを展開するパートでさえも、知的で冷静な抑止力が漂っているし。 変な話をしちゃうけれども、本作の制作指揮官(敢えて、カルロスとは言わない)は、戦略原潜の艦長の適材なんじゃないかな。他艦のアタックポイントもデッドラインも正確に測定し、禁欲的な抑止力を発揮。優秀な軍人が時として軍縮の鍵かも、って意味で。

〜名盤山脈 7〜




★★★(2003.6.30)

 

『エルヴィス・プレスリー登場!/エルヴィス・プレスリー』 気分も体調も万全、そして快晴。そんな日に大きな歩調で歩いてみたりなんかすると鼻歌のひとつも出て来るわけですね。僕の体調は万全であるからして、喉も快調。低い声がツルンッと出てくるわけです。「お、今日の低音は色気が有るぜ」、なんて…。そんな時の鼻歌の選曲に迷ったりはしません。違わいっ! フランク永井は、今日の低音はもうひとつ…って時の喉慣らしだいっ! そう、エルヴィスを歌うわけです。下唇を少し弛ませてやや突き出し、下唇の動きで言葉のイントネーションを作ると「気分」ですぜ。僕の頭蓋骨を通過して耳に届く低音はエルヴィス。あぁ、聴かせてあげたいっ! でも、本音を言えば、僕が真似たいのは声よりも、あのアクションですね。 エルヴィス・プレスリーは世界的・歴史的なトップスター、いや、キングだったのであって、僕も子供の頃から嫌でもその存在を知っていた。『イン・ハワイ』を小学生の時にテレビで見た。僕はひどく退屈した記憶がある。 それ以来、モミアゲとギンギラ衣装のプレスリーは僕にとって忌むべき存在になった。 後年、50年代のロックンロール創世記のドキュメント映像を観ていた時に、僕は素晴らしく威勢の良い、そして、素晴らしく色気のあるシンガーを発見した。それがエルヴィスだった。腰をクイクイッと振って、脚を巧みに動かして…。過剰なフェロモン爆弾に一発でメロメロになった。以来、演奏シーンが観たくて、多くの映像を漁った。格好良過ぎる! エルヴィスの格好良さをプレスリーに拝ませてやりたいもんだぜ、まったく! そう、僕にとって、エルヴィスとプレスリーは別人なんです。その境目はビートルズを始めとする多くの人が指摘する入隊前と後。 ベスト盤を聴くと、ついつい物真似で一緒に歌ってしまったりしちゃうのだけれど、デビュー作である本作をそんな風に聴くことは出来ない。眼を閉じて、エルヴィスの腰の動きを想像しながら、ウットリして…。あぁ…。溜息。

〜Drive to 80's
Vol.34〜





★★★☆(2003.6.30)

『BLUE SPHINX/E.D.P.S.』 セカンドアルバムに続いてデビュー盤を入手した。 あの頃、誰もがツネマツマサトシに憧れていたっけ。あっ、「誰も」って、法政大学学館ホールや新宿ロフトで僕と同じ空気を吸った人は「誰も」って意味ね。 フリクションが3人だった時代、ツネマツのソロ時代、そして、新バンドのE.D.P.S.を結成した時代。僕は音楽的にはリザードやINUやPモデルがお気に入りだったのだけど、ツネマツのライヴには熱心に足を運んだ。ルックスが好きだったんだ。剃刀みたいな切れ味を感じさせる容姿(幼少時に観たヤクザ映画の小林旭の影響らしい…)。彼のルックスとギターのサウンドは恐ろしいくらいにマッチしていた。剃刀。 引っ掻くようなピッキングを繰り返すツネマツの右手が瞼の裏に浮かんで来そうな荒々しいギターが本作で悲鳴を上げ続ける。ボディ寄りのフレットで「ピキピキ」と弦を引っ掻くフレーズを聴くと、思わず、ツネマツの眉間の皺を思い出す。 本作を久しぶりに聴いて(CD化された音源を聴いたのは、これが初めて)、驚いたのはオーヴァーダブの多さ。一曲につき、ギターが数回ダビングされ、その上、シンセやバイオリンがダビングされている。ドラムスの音色が妙に作り込まれてしまっていることも含め、ライヴでのストイックな音像に比較して、ゴテゴテしているなぁ、と。もっとも、E.D.P.S.のライヴ音像がストイックだった、なんて印象も僕が勝手に記憶した情報に過ぎない。 ビートルズをオンタイムで聴いた世代のツネマツは、レコーディングへの特殊な執着心を持っていたのだろうか? 当時、すごく驚いて、大好きだったエピソードがある。ドラマーのBOYは有名なレッド・ツェッペリン狂で、BOYに影響されたツネマツは、ツェッペリンのファーストを聴き返し、本作に反映させたと言う(露骨な反映箇所は微笑ましい!)。 僕達が憧れていた日本パンクの巨人はオールドウェーヴに寛容だった。だから、僕は憧れた。 関連(フリクション

〜名曲を観てよ!〜




★★☆(2003.7.07)
『ベルベット・ゴールドマイン』 タイトルもエピソードもディヴィッド・ボウイー。しかし、ボウイーの楽曲提供拒否により、ボウイーの楽曲は使用されない。 僕は、結果的にこの映画が70年代のロンドン・グラムロックの空気再現に成功した秘訣はボウイー楽曲の不在によるもののような気がする。 主人公、ブライアン・スレイドのヒット曲として当て込まれているロキシー・ミュージック、および、イーノの初期楽曲。そのハマリの良さに驚愕。うん、ロキシーがグラムロックに便乗してシーンに登場した歴史は知っている。でも、ロキシーとボウイーやT−REXは違うじゃんか、全然。 僕はてっきり、ロキシーのファッションセンスも含めた馬鹿馬鹿しさみたいなものが70年代当時のシーンでウケていたのだと勘ぐっていた。「馬鹿だよな、あいつら…」みたいな。 いやいや、楽曲のパワーだったんだねぇ。モワ〜っとたちこめる退廃感と、プラスティックでキャッチーな感覚。「キャムプ」って言うんですかぁ? シアトリカルで、享楽的で、刹那的。 そう、刹那。シーンに活力を与える気概は満々なのだけれど、シーンと心中する気なんぞハナっから無い。一瞬を決めてサッサと先に進んじゃう。だから、ボウイーもロキシーも「勝ち組」として生き残ったわけですね(ブライアン・スレイドも!)。 一方、カート・ワイルドは一過性のシーンの中に耽溺してしまうわけですね。カートのモデルであるイギー・ポップや、劇中のトリビュートライブで象徴的に扱われているT−REXを思い出せばいい。 僕個人の事例であることが卑小すぎて恐縮なのだけど、皮肉っぽい話をさせていただく。 グラムロックのヒット曲を編集する際に、グラマラスな印象を象徴するのはスイート、スレイド、ゲイリー・グリッター、スージー・クアトロであって、ボウイーもT−REXも(別の意味で)浮いてしまう。 ねぇ、T−REXの居場所ってどこなの? そんな「負け組」の美学を優しくトリビュートした映画。
〜歌謡曲を聴く60〜




★☆(2003.7.07)
『BEST OF BEST/桜田淳子』 楽曲に付随して思い出す顔ってのがありませんか? う〜ん、歌い手の顔を思い出す、とかって話でなく…。そうねぇ、その楽曲がヒットしていた時期につきあっていた恋人を思い出す、なんてぇ話。あるでしょ? 恩師や上司や部下や友達や飼い犬や、いろいろ。 で、僕は桜田淳子の『天使の初恋』を聴くたびにT君を思い出すの。義務教育時代の同級生だ。ちょい野口五郎に似た“良い男”だった。 同窓会で久しぶりに会ったT君は言った。「郷ひろみの『裸のビーナス』を聴くたびに、キミ(僕)を思い出す」と。それは、こんなエピソード。カレンダーを指差して僕が歌ったんだ。「♪カレンダー(可憐な)裸のビーナス♪」。これが、忘れられないんだと。 たーーーっ、ガキの頃の駄洒落って恥かしいね。 一方、僕は『天使の初恋』を聴いたり、ふと口ずさむたびにT君を思い出す。彼は、その歌詞がおかしいと指摘した。 「♪私の初恋、いつでもさわやか」。 初恋は一度しか無いはずなのに、「いつでも」は変だろ、と。 作詞は阿久悠。あの時代のアイドル(しかも、あの当時の14歳)でしか成立し得ないような、眠い楽曲。 自然の風景と恋心を満喫する淳子ちゃんの淡くて他愛の無い心情を綴ったAメロ部に続き、唐突にそのフレーズがやってくる。つまり、淳子ちゃんがここで言う初恋は、たったひとつだ。一度だけの初恋。 「恋は毎回、初恋よ」的なアバズレ感覚は皆無。そう、前回の初恋に引き続き、今回の初恋もさわやかで〜す、という歌詞には思えない。たった一度の初恋は昨日も今日もさわやか、ってな意味合いでの「いつでも」に違いない。しかし、それは適切な言葉ではないわけですね。初恋を何度も通過した(アバズレの)僕の歳になっても納得いかない。あの頃のT君は、今の僕よりももっともっと納得できなかったのだろう。 そして、淳子ちゃんはと言えば、「最後の初恋」をさわやかに守り続けている、らしい…。 壺なら、買わんぜ!

〜ワールドサイドを
歩け!! 21〜



★★★(2003.7.14)

『ロマン組曲/イ・プー』 10代の頃なんかで、覚えたての洋楽が楽しくて仕方が無くって、友達とも音楽の話ばかりして、誰よりも先に新しいレコードを発見したくて…。 そんな時期ってありません? そんな時期に出会った音楽がフランク・ザッパだったり、ゴングだったりすると、後々誇らしい気分になるわけですよ。俺、10代でザッパを聴いてたぜぇ、なんて。(僕の文章って、そーいう自慢が多いよね) 一方、大冒険したはずの発見が後になってみたら定番中の定番だった、なんつうオッチョコチョイな話もありますね。また、他方、ヒネクレて隙間を狙った挙句、とんでもねぇブツを掴まされた、なんつう経験もありますよね? ま、つまり、ガッカリ…って言う。 プログレなんかも聴いちゃってた10代の僕は、もっとすごい、なんつーか「カルトなブツ」と出会いたかったんだね。で、掴んだんだよ、本作を。 重厚で壮大で、「ズドーン」って感じを期待していたんだな。 それが、どうよ? 軽くてポップで大袈裟にセンチメンタルで。 激しく失望した僕であったが、悔しさの余り聴きこんでしまったんだね。優秀なメロディだから、一旦身体に染み込むと心地良いんだ、これがまた。 キ〜〜〜ッ、悔しいー! 全曲を口ずさめるようになっても悔しさの納まらない僕は本作を中古屋に叩き売った。 ん? 本作を気に入ったんじゃないわけ? 感情の持ち方がバラバラじゃんか! 「音楽が好き」って感情よりも、「友達に自慢したい」って感情が優先されたってわけね。や〜い、ガキ〜っ! で、90年代ワールドミュージックブームの頃に本作はCD化。僕は迷わず購入。全曲が頭の中に入っていた。入ってはいたけれども、こんなにイタリア語の語感が気持ちよかったのかぁ、と驚嘆。センチメンタルな大仰さも、カンツォーネのロックシフトという風情。つまり、音楽コンセプトが優秀な成功作。 今更ですが、自慢させて! 僕、10代の頃にイ・プーを聴いてたんだよね〜。
〜Drive to 80's
Vol.35〜




★★★(2003.7.14)

『ブラック・アンド・ホワイト/ストラングラーズ(3)』 本作がストラングラーズの最高傑作で、次のスタジオアルバムから(日本では)失速、ってな話が一般認識なのだろう。うん、実際にそういった評価が在って、そういった歴史年表が日本に在ったのは事実。 しかし、僕の評価は、それとは別。 まぁ、ジャケット写真はカッコ良いし、メロディは良いと思う。本作以降の主体となるヨーロピアンテイストでロマンティックな曲調やアレンジも登場する。アップテンポ楽曲とロマンティック楽曲のバランスは良好。 そうそう、その良好なバランスが問題なんだよぉ。本作って前作『No More Heroes』と同じ座標上に在るバージョンアップ版&次回作『Raven』(便宜上、ライヴアルバムを除外してカウント)のパイロット版のように思えてしまうんだ。言ってみれば、ストラングラーズにとって、珍しく前進(変革)度合いが曖昧なアルバムだと僕は思う。矛盾した言い方に聞こえるかも知れないけど、アルバム1枚だけという条件でストラングラーズを未聴者に推薦する場合には、要素の重複した本作が最適なのかも知れない。う〜む、僕は彼等の歴史年表を意識し過ぎているのかもね。 でも、待てよ。リリース当時に僕は不満を感じたはずじゃないか! アップテンポ楽曲に何故か暴走感が無いんだな。まとまっとるねぇ、なんて…。勿論、お気に入りの楽曲も在るんだぜ。でも、その楽曲が『No More Heroes』のセッションで演奏されていたら、僕はもっと好きだったろうな、なんて思うの。アンプのボリュームを最大にして演奏しちゃって、ドラムスのマイクに音が被っちゃったみたいなサウンドでさぁ! 演奏も録音も手馴れ始めたのだろうか、余裕綽々のサウンドに聴こえるんだよ。前作がパンクロックであるならば、本作はハードロックなんじゃねぇか、って思うの。 音には深い思い出が無いのだけれど、ジャケットと同じデザインのポスターが張ってあった店や個人の部屋を4つ思い出して懐かしくなった。 関連(

〜名盤山脈 8〜




★★★☆(2003.7.14)

『おせっかい/ピンク・フロイド』 『エコーズ』のサウンド解析。 まず、ひしゃげたエレピ。薄くオルガン(シンセ?)。背後に別のエレピ。右にモヤモヤしたギターの微細な持続音。オルガン、ギター、ベースの登場で曲調が決定。唐突にドラムスのフィル。左にはドラムスに逆エコーをかけたエフェクト。アクセントの位置は生音とピタリ。気持ち良いし、気持ち悪い。基本ボーカルは3種。気づけば中央にリズムギター。ここまでで、異常なトラック数。ドラムはステレオだ。 4本ぐらいのギターソロに続き、左右でドラムス&オルガンが同一フレーズ&別テイクで同時に鳴り始める。テイク1を聴きながらテイク2を録音したかな? ベースは中央と右に2本。変なバランス。つまり、全ての音がコンソールにアサインされていたのだろう。 馬鹿とインテリは紙一重。 ガイドとなるリズムの核が不在になる瞬間が多く、演奏は困難だったはず。明らかに音像が変わる瞬間はテープを貼り付けたんだろう。それも、あれも、どれも、労力が半端じゃないぞ。にも関わらず、1つ1つの演奏は結構ラフ。 言ってしまえば、シーケンサー上で打ち込んでトラックを構成したり、サンプラーでループすれば簡単で完全な発想を人力でアバウトに実行してしまったわけだ、この人達。 馬鹿か?インテリか? 勿論、サンプラー無き時代の制作物であり、だからこその効果も面白い。左右で同じフレーズを叩く2台のドラムスがシンクロしたり、ズレたり。アクセントが左右で裏と表になるなんざ、ドラマーとしてリズム感覚が正常じゃないよなぁ。決めの無い長尺の中で裏アクセントを狙ってやったか? まさか…。 いやはや、馬鹿でインテリ…。 録音はアビーロードスタジオ。録音人脈的にもビートルズとの類似性は多い。ピンク・フロイドはスタジオでの録音マジックを強く信じ込み、労力を惜しまなかった点で、ビートルズ後継者の最右翼だったと言える。 ビートルズも馬鹿でインテリだったからね。
〜歌謡曲を聴く60〜




★★(2003.7.14)
『メビウス・ゲーム/山口百恵』 大瀧詠一のスイートな『哀愁のコニーアイランド』に薄く影を落とす歌唱のミスマッチは素晴らしい。けれども、“ロック方向”に毅然と指を指したアルバム全体の方針と志を受け止めるのが礼儀というものだろう。『アポカリプス・ラブ』の阿木燿子&宇崎竜童のセンスがいかに壊れていようとも、『テクノ・パラダイス』のテクノポップがいかにインチキであろうとも、だ。 本作リリース当時のエピソード。 『ロックンロール・ウィドウ』を聴いて、当時婚約者の三浦友和は言ったという。「百恵はロックンロールも歌いこなした」 情報ソースはテレビだったような気も、女性誌や芸能誌だったような気もする。この台詞に腹がネジれた記憶がある。 友和は初期のRCサクセションに参加していた人物なのであって、忌野清志郎のロックンロールを目の当たりにしていたわけではある。しかし、友和に言わせたくねぇよ、って思わない? 友和は「ロックンロールを語る器」じゃないっつうか。三浦友和と国広富之には語らせたくない、みたいな。あ、松崎しげるに語られるのはもっと嫌かも…。宇崎竜童ってのもなぁ…。 っつか、そーいう話じゃなくてぇ! その前に、百恵は本当にロックンロールを歌いこなしているかぁ?って事なのよ。友和の耳は、どうかしてねぇか?と。 確かに、苦々しげに吐き出す感じのシャウトは、達者ではあると思う。芝居的な意味で達者な表現。しかし阿木燿子の歌詞が何を言いたいのかよく判らないのと同じレベルで、シャウトする意味が判らない。ロックンロールごっこだべ? 「ロックンロールの定義」なんぞを青臭く語る趣味は無いのだけれど、そこまで大上段に構えられると、こっちだって、そのつもりで聴くぜ。似非ロックンローラー批判と思われる歌詞の主題を歌い手自身が体現しちゃってらぁ。 とは言うものの、間奏でハモニカソロが始まる瞬間(2'25")の音圧の落差、むちゃくちゃ(♪カッコカッコカッコ)カッコいい!

【メレンゲでGo!! HOME】  『メレンゲ今週のCD』

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