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〜Drive to
80's
Vol.36〜

★★★☆(2003.7.28)
〜名盤山脈 9〜

★★★★(2003.7.28)
〜ワールドサイドを
歩け!! 22〜

★★★★(2003.7.28)
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『果てしなき反抗・孤独の影・ブリキの太鼓/ジャパン』 語りたい作品の枚数は多い。しかし、語りたい論旨は1つに集約される。今回は例外的にスタイルを変えて、ジャパンを語ります。 ここに挙げた3作は、いづれも優秀なクオリティの音楽レコード。 ジャパンを語る際にボーカリストのルックスや自己愛の強い音楽指向がテーマとなるケースがある。しかし、僕はジャパンを語るポイントを絶対的にリズムとアレンジに求めるんだな。 デビュー作『果てしなき反抗』は、グループのスタート地点を明確にする。黒人音楽への憧れ、ですね。同時代の「ネジれたファンク勢(ポップグループなど)」と比較すれば、企みの中に独自性は薄い。何のヒネリも無いファンクチューン。でも、着地は独自。あぁ、歌の個性もあるよね。でも、この楽曲をマービン・ゲイ(誰でもいいんだけど)が歌ったと想像してごらんよ。ほ〜ら、メロディ自体はスキルの高くないブラックなんだ。 重要なのは、そして、最もユニークなのは、辛抱強く低いノートのアクセントを繰り返すベースと数学的なフレーズを構築するドラムス。数学的とは、小節を数学的に分割して休符やアクセントを構築するって意味、ね。ハイハットの開け閉めとスネアの奇妙なタイミングを聴いているだけでも軽く鳥肌。コンプで潰したような音的メリハリの無いサウンドだけに、フレージングだけで起伏を構築してしまうクレバーなドラミングが際立つ。パーカッションが後付けでダビングされている箇所などは、シーケンサーのプログラミング的感覚だ。それはつまり、「辛抱強さ」と「数学的」というファンク・グルーヴの要因ですね。 また、シンセが楽曲のパート毎に音色とフレーズでムードを加味する役割に徹していて、その発想はクラフトワークがそうであったように、リスナーにとってのリズムの感じ方を誘導する。生演奏なのに、シーケンサー的な発想(=パート単位)なんだね。JBが発明した引き算に、ジャパンは独自の足し算(変則的なアクセントやエレクトロニクスの効果)を加えている。生ベースとシンセベースがポリリズムを作る瞬間にはP−FUNKの叡智を正しく後継している。 そして、4作目『孤独の影』。うむ、ボーカルはまるで別人のように変貌。トラックは更に革命的に変貌。フレットレスベースが癖のあるフレーズで主張。休符の在りかが尋常じゃない。この時期のジャパンのサウンド特性と言えばベースなのだけど、もうひとつ忘れてはいけない。アナログシンセの名機、プロフェット5! プロフェット5をパーカッシヴに扱ったYMOの事例を最大限に引用し、ドラミングの数学要素に加えている。勿論、この時期にはシーケンサーでプログラミングされた自動演奏があるわけだから、デビュー作の発想はより完璧な音に昇華されている。ただし、エモーショナルなミュージシャンシップと言うのか、思いつきの無駄な音も多い。その不完全さも含めて僕は名盤だと思うな。シンセパーカッションや生パーカッションのダビングを前提としたようなドラミングは、今だったら、サンプラー等で完全なプリプロダクションが可能だけれど、この人達は想像力だけで、青写真を描いたのかしら? ブライアン・ウィルソンみたいだ…(僕は、偶発的な産物だとも勘ぐっていますけどね)。 ウィルソンの名前が出たところで、『ブリキの太鼓』。 パーフェクトですね。パーフェクト! 一音加えても、一音引いても世界観は崩壊する。ギリギリの完璧なバランス。リンのドラムマシーンやプロフェット5のパーカッシブシンセのプログラミングを前提とした生リズム。これを口で言うのは簡単だけれども、細部のこだわりだけで実践したならば、ここまで大きなリズムは生まれない。 デビュー作の時点から、ジャパンがこのゴール地点を志していたことがわかったでしょ? 彼等の進化に必要だったものはインプットすべき情報(YMOの実績とか)と、アウトプットの為のテクノロジーだったってわけさ。 クレバーな音楽家集団。後継者はいない。 関連(ミック・カーン・土屋昌巳)
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〜 グレイテストな
ベスト 1 〜
★★★☆(2003.8.04)
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『THE COLLECTION/ゾンビーズ』 「グレイテスト(ヒッツ)」とか、「ベスト」というのは、その名の通り偉い。ベスト盤は嫌いだ、と言う人もいるけれど、僕は大好き。同一アーティストのオリジナル盤と楽曲が重複しても気にしない。収録曲順が違えば、楽曲の印象は変る。その編集が成功か失敗かという評価も含め、後から職務的に編集を加えた作為そのものが楽しい。それに、シングル楽曲が多いことが単純に偉いと思う。 例えば、僕はゾンビーズのベストCDを2枚所有している。本来は収録曲数が多く、編集や解説の丁寧な『THE
EP COLLECTION』を推薦すべきなのかも知れない。しかし、本作を推す、敢えて。 まず、ジャケットがカッコいい。ビートルズを真似したのだろうか、ジャンプしている。明るいゾンビーズ。素敵。でも、へっぴり腰のジャンプ…。背景は切り取られ、黄色一色。馬鹿みたい。こーいうチープな演出が60年代のビートグループのデザインでは効果的だ。可愛い。 それから、編集思想がなんだか良い。先の『THE
EP COLLECTION』よりも2曲少ないのに、重複しない楽曲がある。あんまり詳しくないので、断言は出来ないけれど、つまり、シングルカットされていない楽曲が収録されているんじゃないか? 一人の人間の責任と思想で楽曲が選択され、並べられ、レコード会社も「ま、いいんじゃない」みたいなユルユルの決済を下して、実現したベスト盤なのかも、などと勝手な想像をするとえらく楽しい。 そして、いかに並べ替えようとも、ゾンビーズの音楽が素晴らしく優秀であることが証明されている。 『She's
Not There』『二人のシーズン』『I Love You』は収録されているから、ゾンビーズ初心者でもとりあえず問題は無いですぜ。でも、『She's
Not There』のモノとステレオの2バージョンを聴き分けたい人は、『THE EP COLLECTION』を買ってください。でも、そんなもんをマニアぶって聴きたいかぁ?
あ、ごめんなさい。僕は聴きたいや。 関連(1)
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〜Drive to 80's
Vol.37〜
★★★☆(2003.8.04)
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『地獄に堕ちた野郎ども/ダムド』 このアルバム、とんでもねぇ回数で聴いたと思う。「ま〜た、昨日も聴いちゃったよぉ」なんて、オナニーの自己申告みたいに話していた思い出がある。 収録時間(31分39秒)が短く、つまり、1曲づつの演奏時間も短く、ポップで、軽やかで速い。 高速フィルインを正確に決めるラット・スキャビーズのドラムスの腕前について、昔は注目していたけれど、今となっては大騒ぎすることではない。 ギターのフレーズと歌メロが鮮やかに聴こえるゴキゲンなアルバム。 つまり、ギターも歌もロマンティックな印象で、えれぇ聴き心地が良い(作曲者&ギタリスト、ブライアン・ジェームスの資質でしょう)。オマケにデイヴ・ヴァニアンのボーカルがダブルトラックを多用するもんだから、灰汁が無く、サッパリしているんだ。悪く言えば、無個性で薄い。だから、僕は良質なポップスとして聴けるんだな。 あ〜、本作って「パンクの名盤」とかって言われてるんでしょ?
知ってるってば! でもさ、 パンクは良質なポップスじゃないってのかよぉっ!? ま、「良質」と呼ぶには粗野ではある。(某人気パンクバンドのデビュー作のように)プロデュースのニック・ロウが自分の人脈プレイヤーに演奏させて仕上げたら、それこそ誰も文句の無い良質ポップスだったに違いない。でも、僕が言いたいことは、そーいうことではない。 本作のテイストってGSっぽいと思うんだよね。マイナーコードに乗ったセンチメンタルなメロディ、ちょっとサイケなギター、灰汁の無い可愛い子ちゃんボーカル。歌詞も可愛いしね。 60年代ブリティッシュビートからの影響という意味でも、本作とGSは従姉妹ぐらいの相関関係にあるのかも知れない。 ウジャウジャとバンドが登場して、短い8ビート楽曲をヘタクソに演奏していたGSとパンク。髪が長いか短いか、アーミールックかダークスーツかの差。 裏ジャケでキャプテン・センシブルが「まあね」なんつって、笑っている。
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〜グレイテストなベスト 2〜

★★★(2003.8.11)
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『THE EP COLLECTION/ハーマンズ・ハーミッツ』 2週に渡って、“黄色いジャケットのディスク”。 ハーマンズ・ハーミッツの第一印象は最悪だった。60年代英国ビーツのドキュメンタリー映像。こまっしゃくれたガキ女(推定9歳)がインタビューに答える。「ビートルズなんて、もう古いわよ。今の流行?
(キッパリと)ハーマンズ…」 このガキ〜、渋谷の街でロリコン親父の餌食にするぞっ!(暴言) そして、ハーマンズの映像。楽曲は『ミセス・ブラウンのお嬢さん』。シンガーのピーター・ヌーンがブレスのたびに媚びた表情。瞬間、指を咥えて甘えた顔を作ってみせたり。 なんつう、腐ったガキ野郎っ! ムカついた僕は、ハーマンズのベスト盤(アナログ)を購入し、甘ったるい音楽をやりやがってぇ、などとボヤいていた。ムカつくならば、聴かなければいいのにね。だってぇ、甘ったるいポップスって大好きなんだもん。(ピーター・ヌーンの表情で発言) そして、数年後の秋だった。僕はランチに蕎麦を食べていた。その蕎麦屋はいかしたポップスをBGMに流している店で、そんなムードも味も僕好みだった。ジャムやコステロが続けざまにかかり、僕は上機嫌。そして、次に軽快なパンク楽曲が始まった。僕は天麩羅蕎麦をすする手を止めて、考え込んだ。この曲、絶〜〜っ対に知っている。っつか、所有しているはず。誰だっけなぁ、良い曲だなぁ、と。帰宅後、手持ちのパンクのレコードを片っ端からチェック。ターンテーブルにディスクを置いて、一曲づつ針を落としていく。あれぇ?
バズコックスにヤマを張っていたんだがなぁ…。 どういった経緯だったのか記憶にはないが、その「いかしたパンク楽曲」の正体は後日、ハーマンズの『ヘンリー8世君』と判明。僕には確かにパンクに聴こえた。ザ・タイガースの解散ライブで、同曲は素晴らしい替え歌に変換されている。 『ヘンリー8世君』が聴きたくて、ついつい聴いてしまう本作(CDで再購入)。 堂々と表記された「Mono」の文字が眩しい。 |
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〜歌謡曲を聴く62〜
★★★(2003.8.11)
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『GOLDEN☆BEST/赤い鳥』 変なグループだ、赤い鳥。名前も変だ。 活動歴の前半が村井邦夫の楽曲中心。オリジナルアルバムでは洋楽カヴァ。サウンドはソフトロック。ブリブリと轟くホーンがたまらない。そして、大村憲司の加入後、メンバーのオリジナル楽曲が増え、サウンドが変る。アメリカンロック風味のギターなのだけれど、構成や作りこみがプログレッシブロックっぽい、と言うか…。 例えば代表曲の1つでもある『紙風船』。楽曲の構成も変ならば、定位もコーラス歌唱も変。前半と後半で異なるムードのメロディが執拗に繰り返され、見事に魔法を作り上げる。 そもそも、コーラスを売りにしたグループであるわけなのに、あんまりコーラスがお上手じゃないと思う。声の混じりが良くないし。各自の声が1つ1つ独立して聴こえてしまうのね。で、あるならば、各メンバーの声の個性が強いって理屈になるわけなのだけど、なんだか薄い。昔のステージ101みたいな、えーっと、つまり、匿名性が高いのね。 後に紙風船、ハイファイ・セットという別ベクトルのユニットに分裂する楽曲的指向の差が、既に並列で存在しているけれども、その差が自然に混じっている根拠は歌唱個性の薄さなんじゃないか、と思う。 もっと言ってしまえば、童謡や民謡系の楽曲をポップスに着地させてしまったり、アダルトなシティ感覚のポップスを成立させる音楽性は鮮やかなのだけど、声の個性が薄いから成立し易かったんじゃないか、なんて邪推してしまうんだな、僕は。バックのアレンジや演奏がここまで激変しても、音楽性は収束していて、根底において印象が変らない理由も同じだろう。 などとケチをつけている僕ですが、赤い鳥、良いよぉ。良い! ずーっと聴きたかったのだけど、これだけの楽曲を一気に聴き通したのは本作が初めて。知っている楽曲が多く、70年代の日本ポップスの集大成であり、偏ったオルタナティブな事例であると感じた。何度も何度も聴き返したい。 |
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〜ワールドサイドを
歩け!! 23〜
★★★(2003.8.18)
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『MANGO GROOVE/マンゴ・グルーブ』 南アフリカ共和国のポップバンド。89年のリリース。 90年にネルソン・マンデーラが釈放され、同時期にワールドミュージック・ブームが勃発。ま、そんな時代の音楽だ。 あの頃、かなり刺激的に聴こえたワールド音楽群の中に在って、本作は地味だった。その理由を一言で言い切れば、軽かったのな。 エスニック楽器がこれ見よがしに聴こえて、リズムはハチロクで、聴きなれないメロディや言語の特性に「うひょーっ!」なんつって驚きたかった僕にとって、本作は軽やかすぎて、耳に引っ掛からなかったのね。いや、もちろん、エスニック楽器や奇妙なメロも存在している。しかし、言語が英語である点が減点対象。音楽が南米っぽいのも刺激が薄かった。サルサやレゲエの要素がきつくて、アフリカ的アイコンが希薄だったの。そう、印象がコンテンポラリーなんだよね。 しかし、あれから10年も経った今、本作は非常に楽しいレコードであると実感できる。いや、この10年間、夏になると必ず聴いてきた音盤だ。 南アの音楽であることなんぞも意識せず、「夏に似合うマンゴ・グルーヴ」であってくれれば、それで充分だった。窓から軽く吹き込む風に乗って、室内で軽く色を添えている音楽としては絶品。南米音楽やジャズ、R&Bのテイストにホンノリと注入されたアフリカ感覚がむしろ心地良い。自分勝手な僕の転身だと我ながら思うけれども、先のワールドミュージックブームなんて頭でっかちだったかもなぁ、などと…。 もちろん、これは日本人である僕ゆえのリスニング姿勢であることは自覚。アパルトヘイトとは無縁に、リゾート感覚でBGMとして機能させている僕です。 あぁ、思い出した。フジロック会場のアフリカ料理テント屋台で「クイーンズランチ」を購入しては食べたっけな。不思議と苗場の夏に似合うエスノ料理。日本の夏に食ったアフリカ料理が僕には美味。 それで良いんじゃないだろうか?
っつか、スタートはそこだろ? |
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〜Drive to
80's
Vol.38〜
★★★(2003.8.18)
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『ライヴ“Xサーツ”/ザ・ストラングラーズ(4)』 “パンク期”を総括するライヴ盤。ストラングラーズの70年代期の総仕上げ、っつうか。 スタジオ録音と大差の無い演奏が聴ける。つまりは、スタジオでも一発録りが基本だったのだろう。彼等のサウンドの色合いとなるオルガンもベースも、そのまんまの音で鳴っている。ギターはスタジオ演奏ほどに抑制されていない。ヒュー・コーンウェルのボーカルは抑制されている。歌が上手い下手の以前に、声が良いのだな、と確認できる。ジャン・ジャック・バーネルのボーカルは粗い(っつうか下手)。コーラスもテキトー。 こんなところで、ストラングラーズの“パンク期”の演奏に関する重要事項は全て指摘したと思う。 いや、待て。 実は最も重要な事項に触れていない。ドラムスだ。 ジェット・ブラックのフレーズの組み立て、音色、リズム感が“パンク期”のストラングラーズ・サウンドの中核エンジン部であったことを理解すべきだぜ。揺れない譜割り。小節を均等に割るリズム。こーいうのは縦乗りと言って、その世界では珍重されるけれども、「グルーヴ評価」の前には歩が悪いんだ。 ライブ映像などで、力任せにスネアを叩いているプレイが確認できるのだけれども、ライブ音源である本作を聴いても、ドラムの印象は淡々としている。打撃のインパクトが強いことは聴き取れるのだけれども、熱くはない。抑制された理性的なビート。その秘密は均等な譜割りと、スネアの柔らかいチューニングにあると思う。撫でるような打撃と開け閉めだけで表現される繊細なハイハットと同期して、拍頭に「タンタンタンタン」と叩かれるスネア。ここにブリブリのベースが絡みついた瞬間にストラングラーズ・サウンドの官能が完成する。柔らかい感触のハイハットとスネアの高音が全体の中から気持ちよく浮かび上がる。拍頭スネアの官能を理想的に体現したリズム隊。官能的な8ビート。 抑制されたドラミングゆえに、シンバルにはほとんど手が伸びていない。 関連(1・2・3・4・5・6・7・8) |
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〜Drive to 80's Vol.39〜
★★★(2003.8.25)
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『ブレイキング・グラス/ヘイゼル・オコナー』 アルバムの冒頭でシンセが均等なリズムで無機質に発振。まるで、機関車みたいに。 本作のプロデュースがトニー・ヴィスコンティであることも踏まえ、僕はボウイーの『ステイション・トゥ・ステイション』を思い出してしまった。 『ステイション』が映画『地球に落ちてきた男』と密接な関係であることも、本作が映画『ブレイキング・グラス』のサントラである関係とボンヤリと照合される。おかげで、僕はボウイーが『ステイション』を歌うライブシーンの収録映画を本作のように曖昧に混同してしまうことがあるけれども、該当映画は『クリスチーネF』だ。 海外のアーティスト映像も簡単に鑑賞出切る現在とは違い、80年代前半に僕達はロック映像に飢えていた。ビデオ再生機なんて所有していない。ビデオクリップの数も絶対的に少ない。だから、映画で公開されるロック映像にリスナーは群がり、その希少価値によって、その映画は名作扱いされた。 しかし、本作はと言えば、全く話題にならなかったよなぁ。日本で上映されたこと自体が今となっては不気味だ。ショービジネスや社会の醜い実態に蝕まれるピュアーなシンガーの物語。ピュアネスを強調する為の詭弁として用いられたパンクロックのイメージ。ま、どうでも良い映画ではあったけれども、『さらば青春の光』のフィル・ダニエルズの出演と、バンドのベーシストが当時の新生ロキシー・ミュージックに加入したゲイリー・ティブズであったことによってのみ重要な映画だった。いや、それはシニカルにすぎますかね。ヘイゼル・オコーナーの映像が観れたんだものね。 80年代前半に英国のパンクジャーナリストと話す機会があった。僕達が聴いていたハードコアパンクを「こんなのパンクじゃないぜ」と彼は言った。じゃあ、本国では何がパンクなんだい? 「ヘイゼル・オコナーさ!」 数年後、僕は本CDをロンドンのショップで購入した。グラムロックの残像を漂わす正統的なロンドンポップだ。 |
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〜歌謡曲を聴く63〜
★★☆(2003.8.25)
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『Hippies/小泉今日子(6)』 シングル楽曲は『木枯らしに抱かれて』『夜明けのMEW』。うむ、追い風に抱かれている時代の小泉さんですね。 作家・アレンジ陣が目を引く。氷室京介、吉川晃司、爆風スランプ、いまみちともたか、上田知華、ホッピー神山…。アルバム冒頭で深いリバーブの中からウネリをあげるベースが首をもたげる瞬間に、ただならぬ気配を察知してしまう。初期のU2なんかを思い出す冷え冷えとした空気感。U2に限らず、“時代の気配”は多く刻まれている。シンセベースとコーラス処理されたギターのアンサンブルとかさ。そうそう、これこれ、あったあった、なんてね。87年のリリースだから、「ニューウェーヴ」がとっくに実験段階を終了して、戦略的にプロフェッショナルな作為で応用されていた時代だよな(蛇足で言うけれど、僕が「ニューウェーヴ」と使う言葉は、主に実験段階を指していますからねっ!)。本作は、産業的に確立したニューウェーヴサウンドの更なる応用。結果的に「ヨーロッパ的という気分」を誇張して、方法論化してみせた音楽。そうだよね、この時期のポップ音楽って、こんなのが多かった。うん、日本にも欧米にも。 突っ込まれることを覚悟で言えば、細野晴臣のアイディアが世界を支配していた、と言うか。う〜ん、うまく言えないのだけれど、対象音楽(例えばヨーロッパテイスト)の変換に使用した細野さんの手法(コンセプト)が巧妙に模倣されて、拡大再生産されている時代、っつうかね。「ニューウェーヴ応用期」のキーワードって「変換の手法」だと僕はかねがね思ってんだ。 この時代に栄華を極めた日本の(ニューウェーヴ的気分の)バンド=BOφWYやバービーボーイズ等が本作に集結してコンペティッションを実現したことによって、産業として機能したニューウェーヴの正体は立体的に露呈したと思う。しかし、本作を聴いて、こんな理屈臭いことしか言う気にならないのも事実。僕は、そんな考察よりも、音楽が楽しみたいのに! (1・2・3・4・5・6)
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