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〜名盤山脈
10〜

★★★☆(2003.9.01)
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『ロジャー・ジ・エンジニア/ザ・ヤードバーズ(1)』 世界三大ギタリスト。 世界の音楽シーンから上位3名をリストアップするなんざ不可能。特定のグループから後に大成功するギタリストが3人も輩出した、っつうファンタジックな物語を美しく形容する為のコピーだわな、んなもんは。第一、3人とも英国人だし。「世界三大」って…。 でも、ヤードバーズというグループの素晴らしさが、ヤードバーズに在籍した3名のギタリストの能力によって実現していたのは事実だよな。ブルースを理想的なロックのフォーマットにシフトした、っつう功績がヤードバーズの素晴らしさ。ハードロック誕生の為の種を蒔いた、ってことね。 黄金期のヤード・バーズの看板ギタリストだったジェフ・ベックのことを思うと僕はロマンティックな気分になる。ブルースの手法を嬉々として取り込んではいるものの、彼が残した実績は「ブルースのオルタナティブ」。その方法は、在り得ないギター奏法や、在り得ないギターのトーン。 電気ギターを、「音が増幅する6弦楽器」と考えてはいない。シンセサイザーを既存楽器のシミュレーションと考えている段階では、テクノの手法に辿り付けない。ジェフ・ベックは電気ギターをテクノにおけるシンセサイザーのような役割の「ツール」として駆使している。ロマンティックだ。 ヒットソングも持つ60年代英国ビートバンドであり、エスニックな要素(パーカッション選択センスの良さも含めて)を導入するユニークさもバンドの特性ではある。ボーカルが下手だとか、ベーシストのルックスが僕好みだとか…。でも、そういった楽しみ方はグレイテスト・ヒッツの類で確認してもらえれば良い。本作では、ジェフ・ベックのギターを聴き逃さないように気をつけて! あの時代のポップバンドにあって、ギターの重要度は最大。バックアップするリズム隊のユニークさや変テコなミックスも含め、逸脱・暴走のスリルが満載。 ヤードバーズが偉大なのは、音楽性によってのみだぜ。
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〜ワールドサイドを
歩け!! 24〜
★★★(2003.9.01)
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『リトル・ゲームス/ザ・ヤードバーズ(2)』 67年というポップ音楽の発表には最も難しい時代のリリース作として、他の事例と比較すれば、恐ろしくユニークな作品。ブルースやエスニックやトラッドを、バンドのカラーである「ブルースロック」の枠内で消化。その音楽性にだけ耳を集中させて聴けば、本作が提示する音楽の幅広さや楽しさにワクワクする。あ、「音楽性にだけ」なんぞと皮肉っぽく条件をつけたのは、制作が雑だから「音楽性」が正確に伝わって来ないもどかしさを感じますもので…。完璧な制作体制で時間をかけてリメイクしたら、恐ろしくクオリティの高いアルバムになったと思う。それだけ、楽曲自体の質は高く、有意義な方針を孕んでいることが理解出来る。 4人(実は1人?)の小さな視点から、世界規模の音楽域に視界を拡散させ、一気に収束する。この制作姿勢は良い結果を生む可能性が高いと思うのだけれど、本作の制作は少し急ぎ過ぎたのかしらね?
やりたいこと(ビジョン)と、実務が重なり合わないジレンマ。 ネガティブな話はさておき。 ミクロの視座からマクロを眺め、ミクロの表現体制にフィードバックするっつうサイクルシステムは、ワールド音楽の制作システムとして理想的だと思うわけですよ。つまりそれは、僕が本コーナーで使用する「ワールドサイド」という言葉が、ネイティヴなエスニック音楽を指してはいないということです。 ネイティヴ音楽を外部者は絶対に越えることは出来ず、だからと言って、そこに立ち入る全権利を剥奪されるものには在らず。アーティストの個体がフィルターとして適切に機能する限り、「ネイティヴ音楽の利用」は意義深い肯定的な生産行為である、ということです。その意味において、僕はジミー・ペイジを賞賛しますね。スティングやポール・サイモン以上に信頼できる「個体」であると認識しますね。 ポップ史の幻の名作をタイムワープして完成させるSF小説『グリンプセズ』のタイトルが本作収録曲から命名された意図は、深い。
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★★★(2003.9.08)
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『Album/パンジャビMC』 チャンカチャンカ♪とハネた弦楽器に低いタブラが絡み付いて、中央の重低音は電子楽器。上モノはサンプラーとターンテーブル。非英語言語、非英語音階。発声はコブシとヒップホップマナーの折衷。 そう、バングラビーツですね。 何を勘違いしたのかバングラビーツが復活した。「復活」という表現に語弊があるならば、水面下で継続したに違いないバングラビーツに久々にスポットライトが当たった。 世界的にブレイク中の本作は、バングラビーツ史上初のヒット作なのではないか?
10年前のバングラビーツ勃発期にジャングルとリンクし、後にドラムン・ベースを取り込んでいた前衛的なサウンドを思い出せば、本作はピュアーにヒップホップ寄り。あまりにもピュアーに。 この10年間に、バングラコミューンから輩出されたタルヴィン・シンやエイジアン・ダブ・ファウンデーション等の“大物”のサウンドとの類似性も希薄。だからと言って「突然変異」と呼ぶには、あまりにも企みの無い音楽。最もシンプルな発想に徹したら、成功しちゃった、ってな印象を僕は勝手に受け取ってしまう。 バングラビーツが最先端のリズムを雑食性も露に食い尽くすメカニズムが大好きだった僕にとって、本作の成功はちょっと複雑な思いだ。 しかし、何度か聴き込むに連れ、僕の頭の中から「バングラビーツ」という言葉が空洞化し始めた。こーいう虚脱感は心地良い。 軸足をバングラビーツに置いたまま、事態を掌握しようとするとロジックが破綻してしまう。いかんいかん、頭でっかちだ。ヒップホップに置かれた軸足がバングラのエッセンスを必要とした、と考えれば話は早い。そして、前向き。大衆性を圧倒的に獲得。事実、この音楽は楽しい。 この音楽は「ワールドサイド」に存在していないんだよね。「最先端音楽のレース」にも参加していない。コンテンポラリーな市場において適切な違和感を演出するグローバル商品。皆、この企みに乗りたまえっ!
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★★(2003.9.08)
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『HATI-ROCK 01/宅八郎』 それは、世界一哀しく、また世界一の幸福さを誇示したライブだった。2003年6月9日、下北沢のライブハウスに宅八郎が登場した。 ジャニーズ系を中心に70年代〜80年代の歌謡曲を打ち込みでリアレンジした「純音楽系ライブ」。公的な彼のキャラクターの生贄となる往年のジャニーズ楽曲、という構図そのものがコンセプトでもありユーモアでもあるという、消極的で(言ってみれば)卑屈な「芸」ではある。しかし、目の前にいる宅八郎はテレビで見た時の印象とは違う。厚かましく粘着質なキャラとは全く異なる宅八郎がそこに居た。一種の優しさや誠実さを漂わす人格のキャラ。 屁っ放り腰な振り付けや、キャラに不釣合いな掛け声(「やーっ!」とか)で観客の「笑い所」を設定してはいたものの、生真面目な歌唱は歌詞を明確に伝えてくる(歌詞の間違いも伝えていた)。郷ひろみの往年の名楽曲は、宅八郎の「芸」の生贄にされながらも、新しいニュアンスを主張していた。そうねぇ、歌詞の切実さが誇張されていた、と言うか。宅八郎の歌唱はいわゆる上手なものではなく、声が美しいとか太いわけでもない。そんな地味歌唱と、テレビの公的イメージとのギャップが相まって歌詞の意味を増幅させる。10代の少年や少女の焦燥感や甘えがビシビシと増幅。 本作は宅八郎が自らをジャンル付けした「ハチロック」の代表曲を収録。『花とみつばち』『おしゃれな土曜日』『男の子女の子』。フィルインやブラス、ストリングスに変に凝った打ち込み。オリジナルアレンジを尊重しながら、ダンス音楽の低音を強引にミックスしている。リバーブや(きつめの)コンプで奇妙な音像を構築。ギターのシミュレートがしつこい。ボーナストラックと本編の音量が揃っていない。ボーカルの入りが怪しい箇所も見受けられる。アニメ主題歌のコラージュが強引で、洗練されていない。 しかし、そこに居る宅八郎だけはやけにリアル。副題は『八郎の魂』で、どうよ? |
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〜グレイテストな
ベスト 3〜
★★★(2003.9.15)
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『The Best Of/ジェリー&ザ・ペースメーカーズ』 「ビートルズの弟分」と言うよりは、ビートルズのおこぼれを頂戴して、ちゃっかりと得をしちゃった印象のグループ。プロデュースはジョージ・マーティン。ビートルズの2ndシングル用に準備された『How
Do You Do It?(恋のテクニック)』をビートルズが拒絶したことにより、お鉢が回ってきた。ビートルズと別アレンジで録音し、大ヒット。リバプール出身バンドとして重宝され、アメリカでも成功。看板スターのジェリー・マーズデンはビートルズのヒストリー映像にも出演し、思い出を語っていた。解散後も重宝されたわけね。ビートルズの恩恵を人生にいっぱい頂いて…。 ってな具合に、ネガティヴなイメージでついついペースメーカーズを捉えてしまうのだけれども、楽曲をチンタラと聴き通すと、そのハッピーでピースな音楽についつい頬が緩む。スキッフル風の基本リズム(初期)は、むしろビートルズよりもリバプール産バンドであることを主張している。作曲も上手い。マーズデンの歌唱が明朗で快活(声量があって、口の開け方が大きい)。結果的に音楽も大らか。そんな意味では『Hello
Little Girl』が好きでたまらない。これはジョン・レノン作で、ペースメーカーズの3rdシングル用に録音されながら、お蔵入りした楽曲(これって、報復っつうか、当てつけ?)。ジョンの歌唱を想像してみても、ジェリーの歌唱を僕は選ぶね。 後にサッカー、イングランド代表チームの応援歌となった『You'll
Never Walk Alone』では『Yesterday』よりも2年早くストリングスを導入。なかなか語られない真実ですね。 しかし、何と言っても好きなのは『Ferry
Cross The Mersey(マージー河のフェリー・ボート)』。インド風味の浮遊するメロディにストリングスが絡み、マッカートニーばりの華麗なメロディに展開。サビはブルージィ。この名曲が『Strawberry
Fields Forever』とカップリングであっても、僕は納得しただろう。これが僕から贈る最大の賛辞だ。 |
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〜歌謡曲を聴く64〜
★★★(2003.9.15)
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『BUZZ/BUZZ』 ガロ、ユーミン、ミカ・バンドとかの相関関係なのね。知らなかった。知らなかったけど、すんげぇ納得。そーいう音楽なんだもん。 すんげぇ洗練された音楽。コード進行がすんげぇ華麗。アレンジも演奏もすんげぇ大人〜(小原礼のベース、すんばらしいっ!)。 BGMとしては最大限のスペックを保証。ガロよりもユーミンよりも。 で、地味。 音楽が洗練され過ぎると透明感を増してしまう、っつう典型事例ですね。カーステレオから騒音と相まって流れてきたら素敵。騒音が激しくなったり、トンネルに入ったならば、音楽は掻き消されてしまう。しかし、掻き消された部分に逆戻って聴き直したりはしない。とっとと先に進行させる。車もとっとと進行する。騒音が増すけれども、窓は開けた方が良い。つまり、そんな季節が良い。冷房も暖房も必要なく、風が心地良い季節。そして、そんな環境が心地良い天候。そう、そんな季節のそんな天候の日取りを選んでドライブしよう。ずばり、5月。五月晴れ(何故だろう?
僕にとって、「それ」は秋ではないんだな)。BGMは『ケンとメリー(愛と風のように)』。車はスカイラインでなくとも。 あぁ、想像しただけで、なんだか幸福だ。ストレスなんか無い。車内では煙草を控え目に。おとなしくしていてね、僕の性欲と下心。5月の風が吹き込む方向を見れば、ごらんよ、雲と海がファックしているぜ。君は「クスス」と笑う。 あれぇ?
性欲も下心も暴走してらぁ。そう、僕の日常に、そんな爽やかな情景は無かったんだなぁ、ただの一日も。空想の一日。そして、その一日を僕が心から欲しているのかと言えば、それは…。 過去に存在せず、未来に希望もしていない、しかし、明確に想像の出来る「ドライブの日」の為にBUZZのBGMが必要。 僕は、その一日も、そのBGMも全く否定なんかしていない。強く憧れてさえいる。絶対に実現しない一日として憧れている。 BUZZの音楽は淡く美しい。 |
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〜ワールドサイドも
観て!! 2〜

★★★☆(2003.9.22)
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『JANE BIRKIN/ジェーン・バーキン』 やれやれ。またしても、変態映像。 ハーレー・ダビッドソンに跨って腰をクイクイしながら笑顔を絶やさないバーキン。リップシンクなんかそっちのけ。永遠に性技の向上を拒んだロリータが均一のリズムでぎこち無く、余裕無く奉仕する騎乗位。恐らくセルジュは一言、「いつまで経っても下手な娘だよ、キミは」。ハーレーを持ち出すなんざ、BB(ブリジット・バルドー)への当て付けか。ま、そのアイディアがバーキン発であるわけもなく、セルジュの含み笑いが透けて見える。「俺は最高のエンジンで揺れるハーレーさ。ガソリンが誰であっても…」、なんてな。 かと思えば、『コミック・ストリップ』をバーキンバージョンで披露。「わかるか?“俺の女”は入れ替わったんだよ」ってな台詞が遠くから聞こえてくるようだ。ただし、バーキンはセルジュのパートを歌い、BBが担当した漫画の擬音はジャック・ヴィルレがコミカルに担当。クールだったBBバージョンを軽薄な印象に塗り替えている。どのように深読みしても「嫌味」だ。 前作(74年放送)から2年が経過。バーキンへの調教は隅々まで行き届いている模様。細いくせに腰のラインが卑猥。タイトなドレスでクラシックカーにしな垂れる姿は充分に“体験”を積んだものだ。しかし、セルジュへの従順度は更に高く、懸命にロリータで在り続けようと踏ん張る。そんな無意味な努力に人生を賭けるバーキンの在り方が既に最強のロリータなんだな。 フランソワーズ・アルディとのデュエット『さよならを教えて』は、何故かバーキンがリードを担当。悪戯好きのロリータ娘を諭すようなアルディの語りが良い。その余韻も残さずに、またしてもアフリカンダンス。土人達に蹂躙されて…。好きなのね、このパターン。 仕上げは『ジョニー・ジェーンのバラード』。悪戯が過ぎたお嬢さん、しおらしく。映画『ジュテーム…』映像を挿入。 そして、この後、ロリータ娘バーキンは30歳になったと言う。 (1) |
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〜Drive to
80's Vol.40〜

★★★★(2003.9.22)
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『レイヴン/ザ・ストラングラーズ』 僕が最も聴き込んだ彼等の傑作アルバム。そして、日本での馬鹿人気は本作を境にバッタリと途絶えることになる。 人気下降と僕の評価は恐らく同一の理由。 醒めているんだな。 ストラングラーズはデビュー作からず〜っと醒めていたじゃんか、って僕は思うのだけれど、暴走ビートの印象が事態を錯覚させていたのだろう。そういった表面上の変化で言うならば、本作で多用されるシンセサイザーの金属的なトーンも冷ややかな印象。細かいスタジオワークも多々(曲によってはベースが2本鳴ってるし)。ここまで繊細なストラングラーズはお嫌いですか?
ヒュー・コーンウェルのボーカルは重く沈殿している。この時期のヒューのイメージは『タクシードライバー』のデ・ニーロと重なるんだなぁ。もう、叫びを上げる戦略なんてとっくに無効だったんだよ、79年には。 特に(アナログ盤で言うところの)B面がキツいのだと思うけれど、B面の展開こそが「時代の音」だと僕は強く認識。ポップとオルタナティヴのバランスが本作では慎重に計測されている。最良のバランスで商品性を保証する誠実さが僕には充分に伝わって来る。 考えてみれば、P−モデル、ヒカシュー、リザードといった日本のニューウェーヴが3作目で暗い作風にシフトする経緯と本作は似ている。(ま、ストラングラーズの動向が日本に与えた強力なアフターマス、ね。そのせいか、僕は本作にテクノポップ的なメロディニュアンスを強く感じてしまう。) その実験性は高まり、蔓延した自己のパブリックイメージを打破する戦略。もはや、79年にはパンクロックなんて終っていたんだね。要はその曲がり角にアーティストもリスナーも耐えられるか、ってぇ話だ。70年代末から80年代初頭とは、先に進むことしか許されなかった時代。そんな条件を満たせずに旧来のオールドウェーヴ同様に拡大再生産を続けたパンクも多い。そして、前進に際して最も悲壮感を漂わせたロマンティストが彼等だ。 関連(1・2・3・4・5・6・7・8) |
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〜名盤山脈
11〜

★★★☆(2003.9.29)
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『LOVE POWER PEACE/ジェイムズ・ブラウン』 JBのマテリアルの中から名盤1枚を名指しするのは難しい。一般的には60年代のアポロ劇場ライブ盤の数枚から迷うべきなのだろう。JBが築き上げたソウルレビューのスタイルが最も熱気を持っていた時代の音源。スピーカーの向こうに、舞台の光景が浮かび上がる。音楽性も高いが、娯楽性も高い。JBのアイディアとパフォーマンス能力によって、グイグイと引っ張られる。そして、その時代のスタイルがJBの基本なのであって、それ以降は応用とか再生産だったり。そんな意味では、基本スタイルがまだ新鮮さを失っていない60年代期の音源は貴重だし、瑞々しい勢いがあるのも事実。 本作は71年のライブ。『セックス・マシーン』のヒット時。そう、「基本スタイルの応用」(=ファンク)期。60年代のライブ音源から聴こえて来る娯楽性は薄まり、新型ファンク音楽の実践にプライオリティが置かれている模様。主役のJB以上にビートが聴こえて来る。演奏テンポが速い速い。 切り込み隊長はブーツィー&キャットフィッシュのコリンズ兄弟。音圧が無闇に高いホーンズの要はフレッド・ウェズリー。歴代最高にファンク度の高いJB'sが主役JBを通り越して、来るべきファンク新時代を見据えている。JB'sの暴走がJBショーを撹乱。JBが綿密に設定したショーの段取りが、ファンクビートによって転覆寸前。本作で聴くことが出きるアンサンブルは、JBの思惑とバックミュージシャンのエゴがぶつかり合ってガチンコ勝負。ショーの基本的な段取り(バラードの聴かせ処や、マントショーなど)の約束事に際してはバックが譲歩。ただし、ご奉公はそこまで。気を許すと、すぐさまファンクループに突入。御大JBはビートの「合いの手担当」に格下げ。本作のテイストをバージョンアップしてファンクレビューを完成させて欲しかった気もするけれど、御大は許すまいて。 基本スタイルを縮小再生産中のJBショーを今週観てまいります。 (1) |
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〜歌謡曲を聴く65〜

★★★(2003.9.29)
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『A side collection/野口五郎』 いわゆる「新御三家」と呼ばれたアイドル期の野口五郎は素敵だ。そうねぇ、『甘い生活』以前、とでも言いましょうか。特に『青いリンゴ』から『君が美しすぎて』までの8曲。 歌詞が設定する歌い手(主人公)は臆病で神経質で繊細。10代の少年期の焦燥感と、裏腹のエモーションがテーマ。ま、安直に言えば、10代の男の子につきまとう危険なアンバランスってやつ。しかし、この歌い手は暴発しない。そう、近所の幼児にいたずらなんぞしない。部屋の中で膝を抱えて朧な視線を彷徨わせている。「♪ひとりの部屋で壁を見つめて/泣きたいような僕だけど♪」(『青い日曜日』) しかも、そんな弱っちい現実を唯一の自己表現にしてしまっている風情。「♪君は知らない、こんな僕を/それがいちばん哀しいの♪」 弱っちい。 また、野口五郎の歌唱が適切に青い。楽曲の構造は判で押したように同じ。Aメロでは喉を振るわせて、うつむいて言葉を失った少年のように途切れそうで切なく細い歌唱を披露。一転して、サビでは思い余った号泣のような絶唱。ま、どっちも泣いているんだけどさ。そうそう、自分の都合で泣いてんのさ。泣くことで自己表現してんの。弱っちい。 そして、ローティーンの僕も弱っちかったなぁ。10代の少年が幸福なはずはない。きっかけさえあれば号泣してみたかった。野口五郎の絶唱のように号泣したかった。 異性への愛情だとか、家庭への不満だとか、自我を持て余すだとか、いろんな事象に転嫁された感情ではあったけれども、その原因は「幼い性」だったんじゃなかったっけか、と今の僕は思う。背後から忍び寄る性の目覚めは僕に「恐怖の夜」を強制した。 初期の野口五郎の音楽は、その恐怖を蘇らせる。少年期の自分を表層的に歌詞世界に投影しているわけじゃない。あの頃にしか実感できなかった「辿り付けないエロス」が独特の匂いを伴って思い出せるのさ。 僕が「エロスの解決方法」を覚えた時、「恐怖の夜」の地獄は終った。 |