メレンゲ今週のCDご紹介75

ライブ帝国/泉谷しげる/海援隊/ケメ/古井戸)、遠藤賢司、

評価は5段階です。(★が得点。☆はオマケ)

〜音楽が聴こえる 11〜



★★★☆(2006.10.23)

『ライブ帝国/泉谷しげる/海援隊/ケメ/古井戸』 こういう企画は面白いね。音源に加えて掘り起こすべき貴重映像というもの、すなわち「お宝」がこの世には埋もれているのですよ。本作は『ヤングインパルス』(TVK音楽番組)の放送ソースを編集したもので、泉谷しげる・海援隊・ケメ・古井戸の演奏映像(収録スタジオライブと言うか…)を拝むことが出来る。正確な年代は不明だが、時期を隔てた映像が収録されていることは、新旧楽曲の混ざり具合や、それ以上に、武田鉄也の髪の伸び方からも理解できる。 つのだ☆ひろを中心とした(半端なロックテイストの)バックバンドを従え、照れ臭そうにユーモラスなアクションを決める(っつうか、終始決め損なっている)泉谷しげる。『黒いカバン』では随所で寄り眼を披露するなど、一見して満点のサービス精神だが、客を前にしての振る舞い方が定まらずに間を持て余している様子が伝わってくる。本当にシャイな人なんだな。シャイであることを懸命に隠さんと無理を重ねる泉谷ならではの情感が穏やかに爆発した『春のからっ風』の完全弾き語りバージョンが心に染み入った。これは純然たるオリジナルブルーズだったんだねぇ。すごく味のあるギターの腕前にも驚いた。 今となってはピクリとも笑えない『母に捧げるバラード』や、あり得ないほど気持ちの悪い武田鉄也のルックスは、「あの時代(70年代中盤)にしか成功出来なかった音楽」という歴史を如実に証言してみせる。それを以って、「だから、あの時代の方が良かった」とか「だから、あの時代はダサい」といった論争を始めるならば、それはお楽しみの範疇で消化しましょうね。 下膨れのホッペに、しまりの無い厚い唇で、女の子のような可愛さを心細さを全面に発しながらも、ヤケに信念のある眼つきで、真摯に楽曲を歌うケメには好感を持った。しかし、ケメも、あの時代にだけアイドルになれた人だよね。 そして、熱くて深い音楽をガツンと聴かせてくれるのが古井戸。いやぁ、実は、古井戸の音楽のことはよく知らなかったのだけれども、すごいのな…。まじですげぇよ。奈崎芳太郎の表現者としての資質の高さに打ちのめされた。仲井戸麗市とのギターアンサンブルも鳥肌が立ちそうに美しい。 出演者達の映像の貴重さに加え、時折映り込む会場の観客の顔つきやファッションセンス等、歴史的価値として観るものは多いけれども、そんな冷めた目線でなく、夢中になって鑑賞できた。そして、その理由を「あの時代の音楽には説得力があるからねぇ」などというしたり顔の理屈で済ませたくはないんだな。 結論無しの文章、実に恐縮だが、この件、しばらく考えたい。

〜音楽が聴こえる 12〜



★★★☆(2006.10.23)
『不滅の男 エンケン対日本武道館/遠藤賢司』 壮絶な表現作品だ。最初から最後まで、この映像を観ている僕の精神が「ゴロゴロ」と音をたてて揺れ続けていた。 遠藤賢司(以下、エンケン)は全ての矛盾を抱えたまま、その矛盾を掛け合わせて純度の高い結晶を生成しようとしているかのようだ錬金術を頑なに信じて実践している気狂いの「行為」をまざまざと生々しく見せつけられる。 そもそもが、客を一人も入れない武道館で、バックバンドもつけずに、たった一人で楽器を演奏し、歌い、暴れる情景を映画としてスクリーンやテレビから時間を隔てた「観客」につきつけるというコンセプトそのものが矛盾している。エンケンは一体、誰と向かい合っているのか。テレビモニタの前でエンケンを見つめる僕の中でその解答が確定しないままに、エンケンの暴走に引きづられていく。バックバンドや目の前の観客の熱気に煽られるという化学反応が許されない環境で、エンケンはとりつかれたように電気ギターをフィードバックさせる。この世の誰よりも大きくてノイジーな音でフィードバックさせる。一体、そのモチベーションはどこから来ているのか? また、アコースティックギターを痛めつけるかのように、いや、痛みを伴う愛情表現を施すSM関係のように激しくカッティングする姿も含め、エンケンとギターの性行為のような光景を何度も何度も観るわけなのだけれども、その行為がオナニーなのか、性交なのか? 性交であるならば、相手はギターなのか、武道館なのか、映像を見つめる我々なのか? 僕はその解答も得られずに一人で置いてきぼりを食ってしまったわけなのだけれども、エンケンにはその答えが明確にあるようだ。彼の姿勢は映像を通して一回もブレてはいないように見える。 エンケンが武道館と向かい合い、武道館とファックするという構図がこの企画の概要だったと仮定してみたとしても、エンケンの性愛の矛先が最終的に我々に向いていることが理解できる。その矛先は微塵も揺らがない。また、当然のことながら、我々は、この瞬間のエンケンの眼前に存在したわけではない。 日本音楽史上最高峰の狂人・遠藤賢司の脳味噌の中身が音としてビジュアルとして展開されたのが本作なのだろう。そこは絶え間なく嵐が吹き、その凪において、究極の優しさを髪間見せるパラダイス。しかし、僕達には、その空間で24時間を過ごすことなど出来ないだろう。僕達は狂人ではないものね。 エンケンが孤高であるわけも、その立場に崇高な信念を抱いていることも痛いほどに伝わってくる。 エンケンを人間国宝にすることができないものかね?
 
 
 
 
   
   

【メレンゲでGo!! HOME】  『メレンゲ今週のCD』

[PR]DVD可能パソコンを進呈:今なら無料でパソコンGET!